2015年04月22日

『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…まとめ2

Dendenmushi_@yChronicle 作業を終えての感想として
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mark.jpg蛇足の蛇足
 2014/06/25から思いつきで始めてしまった『思い出の索引』年表づくりは、ほぼ10か月かかってやっと終了した。
 枯れた歴史としてはとりあえず1990年までを一区切りとしたが、いつも見ていてくださったみなさんからコメントもいただき、ありがとうございました。
 そんなことを考えたのも、2015年が終戦、いや敗戦の年から数えて70周年に当たるからで、この70年間こそが自分が物心ついてからのすべてであるからだ。自分が生きてきた時代のすべてが、この70年でもあった。もちろんそれは環境や時間の長短の違いはあれ、同時代に生きてきた皆さんとても同様であろう。
 そして、これをご覧になったみなさんには、またそれぞれに独自の『思い出の索引』ができることだろう。
          
 年表の文字を全部追って読むのは確かに苦労であるが、それは当初から想定していなかった。ただツラツラ眺めていれば、それぞれ見る人によっていろんな思い出が蘇ってくるかもしれない…。年表はその引き出しの材料としてつけてある。
 あえて年表の日付を入れなかったのは、ツラツラと見て、そうか大体こいうことがあって、こういう流れで世の中が動いていったのだという理解ができることを、期待し想定していた。つまりもともと、全部を順番に読んでいく必要はないのだ。ただ、それがあまりうまくいったとも思えない。
 こういうことは全部個人の記憶で書くことは不可能だから、いくつか手元の資料を使わせてもらっている。
 けれども、元にした出版物である年表は、いわゆる出来事を時系列に並べるという普通の伝統的な方法によって作成されている。おまけにどんな年表であっても、それぞれが世の中のできごとのごく一部を拾っているだけだし、それからまた取捨選択してしまえば、それらが世の中の流れを表しているわけでもないことになる。
 世の中のできごとのすべてを、細大漏らさず網羅することが、そもそもムリなので年表には自ずと限界がある。
 そこで、それぞれ目的やテーマにあわせた編集が行なわれることになるが、でんでんむしの目的は「自分はどんな時代に生きてきたのだろうか」ということである。
          
 通常の年表に並べて、個人的なイベントや思い出やその年の出来事にまつわる感想など、蛇足を付け加えてみた。
 そうすることによって、なんとかその時代の中で自分自身がなにを考えなにをしていたかと、世の中の流れを関連づけてみることはできないだろうか。それがこの年表の狙いであったが、やってみるとあまりうまくいったとも言えそうにない。
 やはり出来事の羅列から時代の流れを感じ取るのは、むずかしいのであろうが、何かそんなところに歴史の情報や教育に盲点もありそうにも思えてくる。
          
 でんでんむしは、日本はどうしてなぜあの戦争を始めたのか、そしてなぜもっと早くそれを終わらせることはできなかったのか、という疑問を抱き続けてきた。さらに言えば、戦後70年も経った今もなお、その負の遺産を引きずったまま周辺諸国ともぎくしゃくして、精算できていないのはなぜだろうか。
 個人の思い出とは別ジャンルというべきだろうが、世の中の動きはいつも大きく国際情勢、政治情勢によってつくられていく。戦争で父を原爆で祖母や家を失ったでんでんむしは、中学生のときに「理想の世界政府」という文を書いた。高校生の頃にはたくさんの戦記物も読んだ。戦争で大きく変転した環境を、運命として受け入れてきたが、この70年で決して日本が明日への希望をもち、よい方向に進んでいるとも思えないのが悲しい。
 そういうわけで、まとめでは日本の政治状況を中心に振り返ってみた。 
 現在の状況をみても、議論も尽くされたとは言えないまま、論点があいまいなまま改憲論議が進んで、まるで既定路線であるかのように言われ、日本を取り戻すという首相がなにをなにから取り戻そうというのか、やたら張り切って世界の十手持ちの手先に任ずるべく突き進んでいるようにみえてしまう。
 そして、その対抗軸は見事に雲散霧消してしまって、連立の相手も歯止めはおろか完全な補完勢力になっている。誰も牽制もできず止めることもできず、やっぱり株が上がらないと困るからねえと自民党支持が続く現状は、果たしてわれわれが望むべき最善ないしは次善の状況なのだろうか。
          
 自慢ではないが(自慢するときの決まり文句)、へそまがりでんでんむしは選挙で自民党に入れたことがない。常に少数派、反体制であるが、それは単にバランスを取りたいがためである。
 一党一派に都合がいいように権力が偏るのは、どちらにしてもよくない。左右のバランスが重要だと考えると、日本の戦中戦後は、保守の自民党系列と官僚支配があまりにも長く続きすぎた。
 一時期、政権の交代もあるにはあったが、未熟なそれを育てるという思考方法をもたない有権者は、すぐに見限ってしまう。マスメデイアも同様で、政治と金の問題に集約して叩きまくってきた。それが今は敵失に付け入って付け上がる巨大与党の前に、妙に萎縮しておとなしくなってしまっている。
 社会の木鐸であろうとしたはずの新聞も、いちおう全国紙を5紙とするとその3紙までが明確な右寄り政権派であり、政府広報ないしネトウヨ御用達と化している。嵩に懸かった自民党は、テレビの番組の端々にもこまめに介入することをなんとも思わない。そのテレビや新聞の経営者には、報道陣としての批判精神もなく首相とのお食事会に余念がないようだ。
 対して、野党は非力でくだらない勢力争いに終始し、ときどき声を上げる進歩的文化人とやらにも力はなく、対案を出せという居丈高な意見に対して、大方を納得させるような論調も指標も生まれてこないときている。そうして、だんだんと理想を語ることを忘れていく。
          
 改めて年表でできごとを振り返ってみると、結局のところ、敗戦後70年のすべての要因がそこに帰結するかのような感さえある。つまり、70年間の間、そのほとんどで政権を握ってきた保守政権が、ついに戦後処理をしないまま今日に至っている、という見方もできるのだ。
 第2次大戦において、日本と同じ枢軸国側で敗戦を迎えたドイツは、その政権と軍部が侵した暴虐非道ぶりは、日本のそれとは比較にならないくらいなのにもかかわらず、戦後のありかたは彼我の差が大きい。
 その違いは、ごく大まかに言えば、敗戦の事後処理と反省の仕方の違いであろう。未だに反省するだのお詫びしないだの言っている日本は、戦争責任を「一億相懺悔」で誤魔化してしまったために、戦争の反省が万事徹底しないままであった。多くの戦犯はすぐに社会復帰をし、要職に迎えられた。
 その背景には、ちょうどそのタイミングで起こった東西対立と朝鮮戦争の勃発が大きい。それらが戦争責任の追及をますます曖昧にし、戦争を遂行してきた人や思想の多くが、そのまま戦後社会に居座ってしまった…。
 それが日本の不幸であったと、そんな見方もできるのではないだろうか。
           
 ごくごくおおざっぱな、床屋政談的印象批評にすぎないし、いまさら言っても益のないことかもしれない。また、論旨も十分に整理されておらないうえに穴だらけで、あまり説得力もないが、敗戦後70年のでんでんむし的まとめも、そういうことになろうか。
 しょせん無力な一年金生活者が何を言おうと、関係はないのだが、それぞれが敗戦後70年を振り返り、考えてみることは、これからの日本を考えるうえで重要であるかもしれない。

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 dendenmushi.gif2015/04/21 記
 
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2015年04月20日

『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…まとめ

『思い出の索引』のさくいん
★でんでんむし@アーカイブス☆
わたしたちが生きてきた時代とは…
まとめ
1901〜2015
各年数表示部分が1990年まではリンクボタンになっています
Dendenmushi_@y Chronicle
この100年、敗戦後70年をザザッと眺める
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1901明治34年  ・八幡製鉄所稼働・田中正造足尾鉱毒直訴・祖父15歳
1902明治35年  ・日英同盟・八甲田山雪中行軍・台湾島民に日本国籍・祖母4歳
1903明治36年  ・横浜-東京ペスト拡大・対露開戦論・非戦論・連合艦隊編成
1904明治37年  ・対露国交断絶・宣戦布告・旅順港封鎖・黄海海戦・203高地
1905明治38年  ・奉天会戦・日本海海戦・日露講和・反講和暴動・韓国保護条約
1906明治39年  ・第1次西園寺内閣・東北大飢饉・鉄道国有法・私鉄も国有化
1907明治40年  ・足尾と別子の銅山暴動・第3次日韓協約秘密覚書き内政指導
1908明治41年  ・日露樺太境界・第2次桂内閣・新聞記者同志会官僚政治打破
1909明治42年
 ・韓国併合を閣議決定・伊藤博文枢密院議長ハルピン駅射殺
1910明治43年
 ・韓国を朝鮮とし総督府設置・大逆事件・白瀬南極探検隊
1911明治44年  大逆事件被告24人に死刑判決・第2次西園寺内閣・辛亥革命
1912大正01年  清朝滅亡・天皇崩御改元・第1次バルカン戦争・大陸移動説
1913大正02年  ・憲政擁護運動熾烈化・3次桂内閣総辞職・山本内閣
1914大正03年  ・第2次大隈内閣・第1次大戦・対独宣戦・青島占領
1915大正04年  ・中国大総統袁世凱に21か条要求・日華条約・父誕生
1916大正05年  ・寺内内閣・独ロンドン空襲・記者会元老政権官僚政治排斥
1917大正06年  ・露2月革命・中国段内閣支援決定・露10革命ソビエト政権
1918大正07年  ・シベリア出兵・原内閣・スペイン風邪・大戦終結・母誕生
1919大正08年  ・朝鮮独立暴動・独ナチス伊ファッショ・ベルサイユ講和
1920大正09年  ・戦後恐慌・宮中某重大事件
1921大正10年  ・尾崎行雄軍備制限遊説・原東京駅で刺殺・孫文非常大総統
1922大正11年  ・高橋内閣・軍縮条約・太平洋諸島委任統治条約・ソ連邦
1923大正12年  ・関東大震災・朝鮮人迫害・第2次山本内閣・憲兵大杉栄扼殺
1924大正13年  ・清浦内閣・護憲運動・護憲3派第1次加藤内閣・曾祖父没
1925大正14年  ・ラジオ放送開始・治安維持法・男子普選第2次加藤内閣
1926昭和01年  ・広東汪兆銘蒋介石第1次若槻内閣・各地大争議・天皇崩御
1927昭和02年  ・田中内閣・山東出兵・大陸進出政策・南昌中共軍蜂起
1928昭和03年  第2次山東出兵国民政府軍と衝突・張作霖爆殺・憲兵隊思想係
1929昭和04年  ・共産党員検挙・天皇田中首相叱責・浜口雄幸内閣
1930昭和05年  ・世界恐慌・共産党大検挙・ロンドン軍縮・浜口狙撃・昭和恐慌
1931昭和06年  第2次若槻内閣・関東軍柳条溝爆破(満州事変)・犬養内閣
1932昭和07年  国民政府上海事変・満州国・犬養射殺・斉藤実内閣
1933昭和08年  ・独ナチス政権・小林多喜二虐殺・国際連盟退場・国際連盟脱退
1934昭和09年  ・出版法取締強化・岡田内閣・東北北海道冷害大凶作身売り
1935昭和10年  ・天皇機関説・中国共産党救国抗日宣言・永田鉄山皇道派に刺殺
193611年  ・2.26・広田弘毅内閣・スペイン内乱・大陸南方進出・日独協定
1937昭和12年  ・林内閣・盧溝橋日中軍衝突(日中戦争)・南京占領
1938昭和13年  ・国家総動員法・徐州占領・広東武漢三鎮占領・東亜新秩序声明
1939昭和14年  ・平沼内閣・ノモンハン・阿部内閣・独侵攻(第2次大戦)・@
1940昭和15年  ・米内内閣・吉田茂労組自発的解消・第2次近衛内閣・大政翼賛
1941昭和16年  ・東条戦陣訓・日ソ中立条約・独ソ戦・岸入閣・真珠湾・母没
1942昭和17年  ・マニラ・シンガポール・珊瑚海海戦・ミッドウエー・ソロモン
1943昭和18年  ガ島撤退・山本連合艦隊司令官・アッツ島・伊降伏
1944昭和19年  ・強制疎開・マリアナ沖・独降伏・サイパン玉砕・レイテ沖海戦
1945昭和20年  ・東京大空襲・沖縄戦・鈴木内閣・広島長崎原爆・降伏・父戦死
1946昭和21年  ・幣原内閣・極東国際軍事裁判・第1次吉田内閣・憲法公布
1947昭和22年  マッカーサー命令ゼネスト中止・憲法施行・片山哲内閣
1948昭和23年  ・芦田内閣・ソ連ベルリン封鎖・昭電事件・第2次吉田内閣
1949昭和24年  第3次吉田内閣・下山事件・三鷹事件・松川事件
1950昭和25年  ・憲法は自主防衛否定せず・全面講和は曲学阿世・朝鮮戦争
1951昭和26年  ・警察予備隊・マッカーサー罷免・対日平和・安保条約
1952昭和27年  ・自衛戦力違憲にあらず・メーデー・破防法・第4次吉田内閣
1953昭和28年  ・バカヤロー解散・第5次吉田・スターリン暴落・朝鮮休戦
1954昭和29年  ・ビキニ水爆第五福竜丸・佐藤栄作造船疑獄法相指揮権発動
1955昭和30年  ・保守合同・第3次鳩山内閣
1956昭和31年  ・フルシチョフスターリン批判・ハンガリー事件・石橋内閣
1957昭和32年  岸信介内閣・砂川強制測量・スプートニク
1958昭和33年  第2次岸内閣・警職法・東京タワー・@映画C・祖父没
1959昭和34年  ・皇太子成婚・三井三池・安保阻止国会デモ・@上京
1960昭和35年  ・岸渡米・羽田事件・安保採決強行・学生死亡・池田内閣
1961昭和36年  ・嶋中事件・地球は青かった・ベルリンに壁・@出版社
1962昭和37年  ・アルジェリア停戦・創価学会・原水禁分裂・キューバ危機
1963昭和38年  ・林房雄大東亜戦争肯定論・戦没者追悼式・ケネディ暗殺
1964昭和39年  ・トンキン湾事件・ベ戦争反対・新幹線・東京オリンピック
1965昭和40年  ・北爆開始・佐藤内閣・@この頃大阪で雑誌編集
1966昭和41年  航空機事故多発・文化大革命・建国記念日制定
1967昭和42年  美濃部都知事・自民得票率50%割る・佐藤訪米・中東戦争
1968昭和43年  ・三里塚闘争・南ベトナムテト攻勢・三億円事件・@東京へ
1969昭和44年  ・東大日大紛争・アポロ11号月面着陸・佐藤訪米
1970昭和45年  ・日本万国博・赤軍派よど号乗っ取り・日米安保は自動延長
1971昭和46年  ・沖縄返還協定・国連中国招請国府追放・@東京単行本編集
1972昭和47年  ・ニクソン訪中・沖縄施政権・列島改造論・第1次田中内閣
1973昭和48年  ・変動相場制・石油ショック・ベトナム和平・革新市長
1974昭和49年  ・田中金脈批判・三木内閣・ニクソンWG事件失脚
1975昭和50年  ・南ベトナムサイゴン政府降伏・現職靖国参拝・赤ヘル
1976昭和51年  ・ロッキード事件・総選挙自民敗北・福田内閣・天安門事件
1977昭和52年  ・参院選保革逆転はなく自民相体的安定・派閥解消
1978昭和53年  ・日中平和友好条約・第1次大平内閣・超法規
1979昭和54年  ・第2次石油ショック・東京サミット・安定多数確保失敗
1980昭和55年  ・社会党の内閣不信任案可決・大平急死同時選挙自民圧勝
1981昭和56年  ・鈴木内閣全閣僚靖国参拝・中国残留日本人孤児来日
1982昭和57年  ・中国政府が日本の教科書記述変更を非難・中曽根内閣
1983昭和58年  ・日韓新時代・日米は運命共同体・田中被告に実刑有罪判決
1984昭和59年  ・社会党自衛隊違憲合法論・新自ク連立改造内閣
1985昭和60年  ・国鉄改革・防衛費GNP1%枠撤廃・日航ジャンボ機墜落
1986昭和61年  ・中国と韓国が日本史教科書批判・同時選挙自民圧勝
1987昭和62年  ・朝日新聞阪神支局襲撃・売上税反対・廃案・竹下内閣
1988昭和63年  ・盧溝橋は偶発事件・中韓反発・消費税単独強行採決
1989平成01年  ・天皇崩御・リクルート事件・参院逆転・宇野→海部
1990平成02年  ・総選挙で自民安定多数・ソ連大統領制・多国籍軍10億
1991平成03年  ・湾岸戦争90億ドル追加・宮沢内閣・ソ連邦崩壊
1992平成04年  ・宮沢首相訪韓慰安婦で公式謝罪・PKO協力法・@退社
1993平成05年  ・新党・自民過半数割れ・非自民連立細川内閣・@神田
1994平成06年  ・小選挙区比例代表並立制・細川首相辞任・羽田→村山
1995平成07年  ・阪神淡路大震災・タレント知事・村山談話・オウム
1996平成08年  ・橋本内閣・民主党・第2次橋本内閣自民単独@湯島
1997平成09年  ・消費税5%・家永裁判で最高裁賠償命令・金融不安
1998平成10年  ・テポドン・参院自民惨敗・小渕内閣
1999平成11年  ・自自公連立小渕改造@湯島から月島へ徘徊地域変更
2000平成12年  ・自由党分裂・自公保連立・加藤の乱・日の丸君が代
2001平成13年  ・小泉純一郎内閣・参院自民過半数・米同時テロ9.11
2002平成14年  ・アフガン紛争・小泉改造内閣・小泉訪朝
2003平成15年  ・米イラク攻撃・第2次小泉内閣・自衛隊イラク派遣
2004平成16年  ・参院民主党改選比較第1党
2005平成17年  ・郵政選挙自民圧勝・第3次小泉内閣・中国反日デモ
2006平成18年  ・送金メール・安倍晋三内閣
2007平成19年  ・参院自民惨敗・安倍退陣・民主参院第1党・福田内閣
2008平成20年  ・テロ特措法参院否決・麻生内閣
2009平成21年  ・献金問題・総選挙で鳩山民主が圧勝・民社国連立内閣
2010平成22年  ・菅内閣・参院自民大勝・普天間尖閣@神楽坂
2011平成23年  3.11東日本大震災・原発・菅内閣不信任・野田内閣
2012平成24年  ・消費税増税法案小沢ら反対・自民政権奪還・尖閣国有化
2013平成25年  ・第2次安倍内閣・朴槿恵韓国反日政策・嫌韓・特定秘密・8%
2014平成26年  集団的自衛権・クリミア・大戦100周年・日清戦争120周年
2015平成27年  ・イスラム国人質・米キューバ59年ぶりの対話
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 dendenmushi.gif2015/04/19 記

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2015年04月06日

1990☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1990mark.jpg平成2年 庚午(かのえうま)
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◯南ア、終身刑の黒人指導者ネルソン・マンデラを釈放。
◯ソ連最高会議幹部会、大統領制の導入を決定。ゴルバチョフを選出。
◯ラトビア共和国がソ連邦からの独立を決議。リトアニア、エストニアがこれに続く。
◯伊共産党が共産主義と決別。
◯アフリカサンゴの植民地ナムビアが南アから独立。
◯台湾の李登輝総統が中国との敵対関係終結を表明。
◯ペルーで日系のフジモリ大統領が誕生。
◯イラク軍がクエートに侵入。クエートを制圧し支配下に。
◯国連安保理、イラクへの経済制裁を決定。
◯米ブッシュ大統領がサウジアラビアへ派兵を決定。
◯国連安保理、イラクが期限までに撤退しない場合の武力行使容認を決議。

◉総選挙を前に5党首がテレビ公開討論。
◉総選挙の結果、自民が追加公認を含め286で安定多数。
◉第2次海部内閣。官房長官坂本三十次。
◉社会党委員長に土井たか子3選。党規約から「革命」を削除。
◉韓国盧泰愚大統領が来日。天皇が「痛惜の念」を表明。
◉東京でカンボジア和平会談開催。
◉海部首相が首相として初となる沖縄戦没者追悼式に出席。
◉海部首相、イラク派遣多国籍軍へ10億ドルの資金援助などの中東支援策を発表。続いて、エジプトなど3国へ20億支援。
◉防衛白書から「ソ連の潜在的脅威」を削除。
◉梶山法相の米黒人差別発言が問題化。黒人議員連盟に陳謝の書簡。
◉金丸元副総理、田辺社会党副委員長を団長とする自社両党の訪朝団が平壌入り。植民地支配の謝罪と国交正常化を提案。
◉天皇即位の礼。現憲法下で初の大嘗祭。
◉沖縄県知事選挙で、大田昌秀琉球大名誉教授が当選。12年ぶりの革新県政復活。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。橋本登美三郎。東久邇宮稔彦王。北川冬彦。池波正太郎。藤山寛美。高峰三枝子。木暮実千代。出門英。宮田輝。若原一郎。高柳健次郎。滝田ゆう。土門拳。初井言榮。奥村土牛。芥川隆行。飛鳥田一雄。幸田文。浜口庫之助。堀田庄三。キース・ヘリング。サラ・ヴォーン。グレタ・ガルボ。エドウィン・O・ライシャワー。レナード・バーンスタイン。アート・ブレイキー。

◎都銀・地銀間のオンライン提携始まる。
◎天皇の戦争責任発言の本島等長崎市長が、市役所玄関で右翼団員に撃たれる。
◎夕張市で最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山。
◎オウム真理教の熊本等の施設を、国土利用計画法違反容疑で捜索。
◎長崎県雲仙普賢岳が、1792(寛政4)以来200年ぶりに大噴火。(その後火砕流が頻発し、平成3年には43人の死者不明者を出す大惨事に。)
◎海外渡航者が1000万人を突破。
◎総人口に占める15歳未満の割合が過去最低。高齢者世帯が10%を超え、1世帯人数も3人を割る。
◎松下電器がファジイ家電第1号となる全自動洗濯機を発売。
◎コードレス電話の人気が急上昇。昭和62年の10万台が平成1年には240万台に。
◎ミニバイクから特殊大型車まで全運転免許取得者が6000万人を超える。16歳以上の60%超が免許をもっていることに。
◎札幌医大がドクター・ヘリを導入。
◎交通事故の死者が1万1227人で、16年間で最悪に。自動車乗車中の死者が40%と欧米型に近づく。
◎神戸三宮に天丼のファーストフード店。東京でも丸紅と日清製粉による「てんや」が開店。
◎梅雨前線の活発化で九州地方各地で山崩れや河川の氾濫。死者27人。
◎台風19号が和歌山県に上陸、本州を縦断して被害。死者不明者39人。
◎大阪鶴見緑地で「国際花と緑の博覧会」開幕。
◎TBSの秋山宇宙特派員を乗せたソ連のソユーズ11号打ち上げ。日本人初の宇宙飛行。

◎書籍にISBNバーコードがつく。
◎古紙暴落。東京都内に昭和60年に3000台あったちり紙交換も500台に激減。
◎コミック誌の発行部数が10年間で1.5倍に。全雑誌販売額の23%を占める。集英社の「週刊少年ジャンプ」が585万部でトップ。

■流 行:いか天・カーナビ・ミネラルウオーター。
■テレビ:ちびまる子ちゃん・渡る世間は鬼ばかり。
■邦 画:角川春樹/天と地と・黒沢明/夢・市川準/つぐみ・桑田佳祐/稲村ジェーン・篠田正浩/少年時代。
■洋 画:ジェリー=ザッカー/ゴースト=ニューヨークの幻・フィル=アルデン=ロビンソン/フィールド=オブ=ドリームス・ロバート=ゼメキス/バック=トゥ=ザ=フューチャー PART3。
■ 歌 :B.B.クイーンズ/おどるポンポコリン・米米CLUB/浪漫飛行・たま/さよなら人類・リンドバーグ/今すぐKiss Me・TUBE/あー夏休み・徳永英明/壊れかけのRadio・沢田知可子/会いたい・辛島美登里/サイレント・イヴ・山下達郎/Endless Game・坂本冬美/能登はいらんかいね・永井真理子/ZUTTO・大江千里/APOLLO・ドリームズ=カム=トゥルー/Ring! Ring!Ring!・伍代夏子/忍ぶ雨・晴山さおり/一円玉の旅がらす・吉田栄作/心の旅・BEGIN/恋しくて・井上陽水/少年時代・中森明菜/Dear Friend・矢沢永吉/PURE GOLD。
■ 本 :二谷友里恵/愛される理由・筒井康隆/文学部唯野教授・柴門ふみ/恋愛論・シドニィ=シェルダン/真夜中は別の顔・ドラゴンクエストⅣ公式ガイドブック。
■ことば:アッシーくん・ボーダーレス・バブル崩壊・3K・ファジイ。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/04/05 でんでんむし蛇足の記)
 スティーブ・ジョブスが「このまま一生、砂糖水を売り続けるのか」と言ってペプシにいたジョン・スカリーを引き抜いた話も、その引き抜いたスカリーにジョブスが追い出される話も、そしてまたジョブスがAppleに返り咲く話も、今ではすっかり有名で、きっとMacintoshが嫌いな人でもユーザーでもない人でも知っているのだろう。
 Macユーザーの間では、どうしてあのアトキンソンの名作HyperCardをカラー化してちゃんと活かしていかないんだろうという疑問があったのだが、それもこの権利がスカリーがらみだったからだ。復帰した後のジョブスがPDAにテコ入れしなかったのも、Newton自体がスカリーのプロジェクトだったからという説もある。おそらくそういうこともあったのだろう。
 グーテンベルグの肖像画をトレードマークにしていた、アルダス社の社長ポール・ブレイナードが1986年に提唱した言葉といわれているが、DTP(Desktop publishing)というのは、でんでんむし的にはあまり好きでない。だが、定着してしまったのでやむを得ず使うことにする。
 前にも書いたように当初は縦組みができなかったページレイアウトソフトPageMakerも、どうにか日本語化対応ができるが、その頃にはクオーク社のQuarkXPressが日本語組み版に目配りをしカラー対応もできることで、日本でのDTPを先行リードしていた。
 今では、それがアドビ社の InDesignに取って代わられているのは、Mac OS Xへの対応が遅れたからだといわれているが、最初からのユーザーであるでんでんむしにいわせれば、初期購入もアップグレードも価格がやたら高額であったことと、途中からトングルなどというものを導入したことで、もともとユーザー対応がうまくない、外資企業の商売ベタが原因であると思う。
 それまでの印刷所における作業工程の大部分が、自分の前のMacintoshでできるというのも、夢のような話だった。だが、それはずっとMacintoshの登場以来待ち望んでいたものだったので、環境が整うのを今か今かと待っていた。
 指定をして印刷所の作業者にそれをゆだねるのではなく、編集者がそれを行なえば指定をすると同時に目の前の画面で出力の状態で見ることができる。何人もの他人を介さなくても、編集者が自分のイメージのままに操作することができ、しかも具合が悪ければすぐ修正したりやり直したりできる。しかも、コストダウンにもつながる。
 しかし、日本のDTPは、アメリカでの急速な展開に比べると、随分時間がかかった。それもこれも、ひとえに漢字とかなとカナの日本語を扱うために生じる制約を克服するのに手間取ったからだ。それともうひとつは、印刷所の対応にも…。
 最初には、使えるフォントは、明朝とゴチックの2種類しかなかった。そのフォントをAppleに提供したのは、モリサワであった。日本の電算写植を制していたのは写研で、モリサワは大阪で取り残されていた。ウワサではAppleも最初は写研に交渉したらしいが、電算でウケにいっていた写研は相手にしない。そこでモリサワがDTPのフォントでは主流になったのだという。
 この年表の1924年(大正13年)の項で「写研とモリサワの因縁話は、ここから始まる」と書いていたのだが、もともとは石井茂吉と森沢信夫の二人が日本で最初の写真植字機の試作機を作っていた。それが袂を分かって別々の会社になっていたものだった。
 ジョブスとスカリーにしろ、写研とモリサワにしろ、クオークとアドビにしろ、歴史というものは、ほんとうに因縁が織りなすものなのだ。
 なんとかかんとかDTPの実用は、この年辺りから端物などからひっそりと始め、商品でもテストをしていた。本格的に全編集部的に導入するには、編集者一人一台の環境をつくっていかなければならないし、教育もしなければならない。だがそれは、自分ではやらず後に託すことになる。この年からまもなくして、会社を辞めることになるからだった。理由は身体的なことで、突然始まったひどい耳鳴りとめまいは、病院でメニエルと診断されたが、さまざまな治療法もまったく効かない。結局、近代医学とは違うアプローチで、ほぼ直るまでこの年から約2年半もかかってしまった。
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 この形式での年表・思い出の索引は、これでとりあえずひと区切り終わりです。まだまだ思い出は続いてありますが、歴史として枯れているのはこの辺りまで、ということですね。
 なんだか妙に個人的なことまで書いて、取りようによってはなんだ自慢話かあと言われそうな点もあったかもしれないですね。でもね、でんでんむしとしてはこれは孫が将来読んでくれればよい、と思っているんです。
 じいちゃんがどんな時代に生きてきたのか、なにをしていたのかを知りたいと思うときがきっとくるだろうからです。そして、家にあるがらくたや紙切れやその束の意味が初めてわかったりすると、きっと楽しいんじゃないですか。
 そんな気持ちで、自分語りを綴ってきたのですが、たまたま通りすがりの方々のお目を汚してしまいましたかね。年表の日だけは確実に無視されているという反応もあるので、ちょっと心配しています。
 時の流れをみつめる…。そんな意味も多少はありますよね。ま、そんなことでなにとぞご容赦を…。
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ラベル:年表
posted by でんでんむし at 00:00| Comment(6) | TrackBack(1) | 年表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする