1368 長崎=八丈町大賀郷(東京都)短いけど名前は長崎からついでに視線を長く伸ばして東山の領域との境界まで…

都道から分かれて海岸を南に下るときから、前方に大きな岬が伸びているのが見えていた。そのずっと手前が八重根港で、そこから屋けんヶ浜さらに西に大潟浦と南原千畳敷からの溶岩台地が続いている。

その屋けんヶ浜と大潟浦の間にあるのが長崎。長崎は、船戸鼻からは東へ1キロ弱のところにある。

この名前の岬も多いが、その名が実際に長さが長いからという理由からついたものであるとすれば、ここの長崎はさほどには長くない。細い岩の根が突き出て、波に洗われている。でんでんむしのように岬の名のあるところをしらみつぶしに歩いてみようという人間以外には、ここに眼を止めてみる人もまずいないだろう。

けれども、その細身の剣のように突き出た姿に、ふと目を留める人もいないとは言えない。

この長崎も、あるいはかつてはもっと長かったのが、沈下や波浪の影響でだんだんと短く小さくなっていった…ということも考えられる。

この長崎も、あるいはかつてはもっと長かったのが、沈下や波浪の影響でだんだんと短く小さくなっていった…ということも考えられる。

それが、疲れることを知らない波の絶え間のない、文字通りの波状攻撃にあって、だんだん小さく短くなっていったのかも知れない。

地理院地図では、その付け根から先端までおよそ100メートルくらいに描かれているが、潮の関係もあるのか、もっと短いようにも見える。

地理院地図では、その付け根から先端までおよそ100メートルくらいに描かれているが、潮の関係もあるのか、もっと短いようにも見える。

黒い岩と赤い砂礫の溶岩台地の上にも、よくみるとけなげな緑が懸命にその領域を拡大しようとしている。植物のしたたかさは、こんな溶岩の上にも根を張り葉を茂らせようとしている。こうした活動がなければ、八丈富士も八丈小島も三原山も、今のように青々とした山ではなく、原初のままの黒い溶岩の山であったはずだ。


このように、裸の荒地に最初に進出する植物を“先駆植物”という。溶岩台地の場合は、まっさらの地面なので植物の“一次遷移”と呼ばれ、進出第一号の栄誉が与えられるパイオニアである。こういう場所では、まず乾燥に強いことが生存適者の条件になる。そしてまた、土壌が含むはずの栄養がほとんどない、豊かでないやせた地面でも生きられることの二つが第一条件となる。

2.7キロにわたって続いてきた、八丈富士(西山)の溶岩が流れ出てつくられた海岸線は、八重根港でひとまず終わる。この先、南に続いては前崎浦・横間ヶ浦と、八丈島ではめずらしいといってよい浜もありそうなフラットな海岸線が東南にむけて続く。
こうして長崎から南を望むと、横浦ヶ浜の浦と山がある。イヤでも眼に大きく飛び込んできて離れないのが、冒頭にあげた斜めになって上る橋と岬なのだが…。ここまでが大賀郷で、この向こうは東山の領域に入る。

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