1215 ギミ崎=名護市字嘉陽(沖縄県)「アブ」も「ギミ」も由来や意味はわからないのだが…

安部崎の名は岬の付け根北側付近に小さく固まっている集落の名前からついたものだろうが、ではその安部(あぶ)という集落の名前がどうしてついたのか。ここでもそれを定かにしてくれる情報はない。
これは、ほとんどたいていの日本の地名がそうである。それでもみんな深く詮索もせず、気にもせず済ませているというのも、考えようによってはふしぎなことだ。これは、そのすぐ隣り合っているギミ崎も同じで、「ギミ」が何を意味するのかはわからない。
地名も人名もいわば符丁であり識別記号に過ぎないのだから、いちいち由来などを詮索するのは意味がないという割り切った考え方は、どうも知りたがり屋のでんでんむしにはできないのだ。たとえ調べても結局はわからないで終わってしまうことが多くても…。
「アブ」も「ギミ」も由来や意味はわからない。ただ、いろいろ探ってみると、安部崎もギミ崎も、古い墓があった痕跡があるようだ。とくにギミ崎には風葬墓の跡があるというので、この付近の古い習俗の独特さが伺われる。これらの情報は、名護市の広報誌から拾い出している。
安部崎の先に続く安部オール島も、ふしぎな名だと前項で書いていたが、「オール」は「オールー」で、これは青色の意味なのだという。
これがまたふしぎなことに、“人間到る処青山あり”の「青山」と、根源も意味も同じらしい。つまり、これも“墓=死後の世界=神”につながる。
奥武岬のところでその読み方については触れながら、意味についてははしょっていたが、実は奥武の「オウ」も「青=死者の霊地」であると民俗学の研究者は説明しているらしい。この調子で探っていけば、沖縄全島にわたって多くの似たような地名を拾い出すことができるのだろう。

このギミ崎も、道路と浜の間に集落や植生があって、バス車窓からはほとんど見えなかった。あるいは見えたとしても一瞬のシャッターチャンスを逃した。
安部で降りて、小さいがきれいな砂浜に出てみれば、安部崎も安部オール島もギミ崎も、ちゃんときれいに見えたのだろうが、前項で言い訳したようにバスの便がこの後にない(のと同じ)ため、それができない。

大浦湾の汀間もバスで通り過ぎただけだが、そこは辺野古崎のオレンジのフロートで囲い込まれた基地建設調査工事海域に接近できるルートにもなっているようだ。

直接工事予定区域には含まれないはずの長島や平島だが、そのうち長島はすでに防衛省沖縄防衛局の裁量で立入が規制されているらしい。
予備調査のアセスメントなどで、ギミ崎の西と東の海域でもジュゴンの調査が行なわれたようだ。

実際にその岬をしっかりと確認できなかったのは残念だが、ことのついでに書いておくと、やはり3年くらい前の名護市の広報誌に掲載されていた人口200人の安部区の区長さんが「安部の七不思議」として書かれたものを発見した。
安部崎などの墓については、そこでも取りあげられていたが、ここでは構造地形(断層や褶曲などの地質構造やそれをつくる運動に関係した地形)とされてきたギミ崎周辺の地形について…。
(2)嘉陽層はなぜおもしろい?
嘉陽層は、恐竜が絶滅した新世代(6500万年~2500万年前)にできた地層だが、砂と泥が重なりあう層には、海に棲んだ生物の跡(生痕化石)がたくさん見られる。とくに安部崎やギミ崎の嘉陽層は、波打つような褶曲(しゅうきょく)といわれる模様の種類が多く、美しい。さらに不思議なことに、この層の生まれは太平洋の真ん中の水深3000~5000メートルでできたということだ。フィリピン海プレートにのって長い時間をかけてやってきた珍しい地層なのである。
これらについては、もっと勉強しないといけないが、ここでは備忘メモとして…。

嘉陽を前にしてやっと朝日が差してきた。
▼国土地理院 「地理院地図」
26度32分22.17秒 128度6分4.58秒




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