
大槌湾の南西湾奥一帯は、釜石市の片岸というところである。片岸の南の端では鵜住居川が尾根に当たって大きく曲りながら湾に注いでいる。
この鵜住居川は、釜石市と遠野市の境界線が走る界木峠の源流から、支流ではその名前を変えながら20数キロも下ってくる。河口の北側は、地図では空白が目立っているうえに、海岸線もなにか自然のようで自然ではなく、どこか不自然な形で残っている。

はじめに立てた計画では、大槌湾南岸の箱崎半島の岬を眺めるには、なんとなくこの片岸辺りでバスを降りて、海岸付近を歩いてみるのがいいのかな、と思っていたのだが、来てみるとそれはとんでもないことだとわかった。見渡す限り復興工事の現場かあるいはがれきを片づけた後の草ぼうぼうの荒地で、ここらは相当地面そのものがなくなってしまい、その復旧がまだゆっくりと進んでいるようだった。
ここでも、地権者との調整がやっと終わり、これから本格的な工事が始まるのだろう。

鵜住居(うのすまい)というところで降りて、山ひとつ回り込んだところには根浜海岸という名があり、そこらまで行ければ早障子崎も平磯崎も、間近で見られるだろうが、半島の付け根に寄ることになるので、そうすると長崎や御箱崎が隠れてしまう。
結局、片岸付近をバスで通過しながら、この項と次項はなんとかかんとか格好をつけるのが精いっぱいだった。
4つの岬が相重なりながら、連なっているのも、なかなかいい景色になる…はずだったのだが、災害の大きさがそういう呑気なことをまだ許してくれないのだと思われる。

現在の地理院地図でみると、早障子崎の手前の根浜の尾根は、湾の中に岬のようになって飛び出ている。その左右が海だ。

航空(衛星)写真では割とどこでも当たり前になっているようだが、でんでんむしとしてはこの継ぎ接ぎさ加減が、いかにも美しくなくて、こういったものはあまり見たくもないし載せたくもないのだが、ここはちょっと気になった。同じく、震災前の写真を発表しているので、それと比較してみようと思ったのである。
地理院地図でも一部は航空写真が見られるのだが、ここのを見るとこんな感じである。

こうしてみてわかったのは、震災前には根浜尾根の先端に当る鵜住居川の河口から真北にかけて、なりでつながる砂浜の海岸線が片岸の北端の山裾まで、まっすぐつながっており、その内側には広い農地があったということである。
早障子崎の西に飛び出た尾根の先から鵜住居川の河口にかけては、震災前の写真によると砂浜が大きく広がっているように見える。根浜海岸の名は現在の地図にもその名が残ってはいるが、景勝の地でもあったその海岸とは、ここのことだったのではないか。
そして、その海岸はすべて流されてしまっている。

河口から北への海岸線には、防波堤が長く続いていたはずだが、それも跡形もない。いや、一部片岸の北のほうに直線状の構築物らしいものもあるので、あるいはそれが堤防の残骸なのだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
39度19分41.96秒 141度54分39.60秒 39度19分57.50秒 141度55分31.05秒




ラベル:岩手県