1140 寒戸崎=佐渡市関(新潟県)三角錐の山の下で平べったく目立たない岬の周辺に散らばっている名前が…

三角錐の山は、おそらく知行山(標高385メートル)ではないかと思う。この山の後ろ(南西)に473.8メートルの海馿(とど)の峰がある。
その北側の海岸、小さな入江に面してあるのが関の集落で、寒戸(さぶと)崎は、ちょうど知行山の北に張り出している。また、その西側にはもうひとつもこっとした小山のような出っ張りがあって、そこには鍔峰という表記があり、岩場には禅棚岩という名もあるが、岬はない。

烏帽子形岩と禅棚岩が向かい合う小湾の海岸からは、棚田のように水田が徐々に背後の山に登っていく。車窓からは気がつかなかったのだが、後で地理院地図をみていて、この水田の斜面に道が上っている。

海馿の峰と禿の高の間からずっと南にかけて、矢柄・大蔵の集落の後背に広がる段丘にも、田圃が続いていて、道はその間をくねくねしながら通っているのだ。

いったい、この道はどこまで行くんだろうと追いかけてみると、矢柄川のところでいったん丘を下り、県道からはずっと奥まったところで川を渡るとまた上って、今度は大倉の裏の段丘をまたくねくねと通って大倉川に下りると、川に沿って大倉集落の南端で県道に合流している。

もしかして…と、また憶測が頭をもたげてくるのだが、この段丘のくねくね道こそが、県道とトンネルが開通する前までの旧道だったのではなかろうか。そして、当然今でも農道でもある。
新潟県の佐渡地域整備部のページで調べてみると、禿の高トンネルが開通したのは1960(昭和35)年であり、大倉トンネルのほうはずっと新しくて1991(平成3)年のことであった。
禿の高を越えるには、現在は草に埋もれているようだが、昭和35年より前にはトンネル入口の手前に残っている階段道を、昇り降りするか、矢柄川から段丘に登って旧道を往来していたのだろう。トンネルの開通が比較的遅くなっていたことからすると、大倉のほうは、地形的にみると海岸沿いを通行することも、不可能ではなかっただろう。

さて、寒戸崎は関の入江からみると、低い細い岬のようだが、ここは最高点で20メートルくらいの岩がごろごろしているような上に、植生が茂る幅の広い岬である。関からバスが800メートルも東に走ったところで、横に長く張り出している寒戸崎の東の端が、ちょっとだけ見える。ここには四角いドックのように切り込まれた港があるようだ。

関の集落は、海馿の峰と知行山の山塊がぐっと海に迫ってくるところで、また海側は鍔峰と寒戸崎に挟まれたごく狭いところに固まっていて、文字通りまるで関所のような位置にある。実際に関所はなくとも、関のような地形、位置取りにあることからその名がついたのではないか。

前項の関岬の名は、この集落の名からきているのだろう。とすればなおのこと、関集落の名にも意味があってほしいような気がするので、そういうことにしておこう。
それにしてもこの付近には、気になるけど由来もわからない地名がとくにたくさん集っている。わかるのは矢柄と烏帽子形岩くらいのもので、寒戸崎・海馿の峰・知行山・禅棚岩・鍔峰・禿の高…と。
知行山の北麓、海岸とのわずかな隙間に敷かれた県道を走るバスは、五十浦(いかうら)の集落を抜けると、間もなくこの路線の終点になる岩谷口に到着する。岩谷口はなんとなく想像もつくが、五十浦となるとまた…。

▼国土地理院 「地理院地図」
38.254136, 138.418468




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