1131 大崎鼻=佐渡市姫津(新潟県)大きな出っ張りと広い岩場の広がりの奥に隠された「秘めたる津」?

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 姫津というバス停でバスを降りると、まずは南に少し戻ってから西へ歩いて行く。姫津の大きな岩の出っ張りは、標高20メートルくらいの台地状になっている。その南側は、バスで黒島と達者を過ぎる辺りから眺めることができる。
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 その台地の中央の凹んだところに人家が密集して姫津の集落があり、姫津漁港ができている。
 が、まずはそちらへは行かず、南の端まで行って、そこから大崎鼻の全貌を捉えてみなければならない。
 あれっ、さっきも大崎鼻で、こんども大崎鼻。まったく同じ名前の岬が、南北に連続して並んでいる。
 もともと、“大崎”自体が“大きな出っ張り(岬)”の意味の、ごく一般的な呼び方だっただろうから、あまりものごとにこだわらないで(あるいは素直にといったほうがよいか)つけると、こういう名前になってしまう。
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 通りがかったユースホステルの前から、ちょうど車で出て行く宿泊客を宿の人が二人、手を振って見送っている。そういえば、ユースホステルというのには、一度も泊まったことがないかなぁ。
 小川の大崎鼻と姫津の岩場の南端が望める台地に建つユースホステルから、下の海岸に降りて行くと、そこにはきれいに整えられた遊歩道があり、赤みを帯びたゴツゴツとした岩が露出して、独特の景観を呈している。
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 そこにあった説明板によると、この岩は約2000万年前に噴出した流紋岩であるという。
 2000万年前といわれても、まったくピンとこないが、その頃はまだ日本列島も日本海もできていなかった。日本列島になる塊は、大きな大陸の東の端っこにくっついていただけ。
 流紋岩となるマグマは、粘り気が強い。そのため、流れだして固まっていく過程で流理構造という結晶がほぼ平行に並んで縞模様をつくる岩の構造ができあがる。この流理構造が垂直方向に発達しているこの付近では、岩が波浪の影響で縦に削られていった。それで先の尖ったギザギザの岩がたくさんあるのだそうだが、その尖った先も徐々に削られていくようである。
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 立派なアーチ橋があって、西の岩島とつないでいる。灯台が建っているそこは平島という名がついていて、その北側にも横島という岩島が続いている。
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 ここの大崎鼻は、横島の北の端に地図上の表記がついている。
 平島と横島は、もともとは別の島だったのを、港湾工事でつなげてしまったものだろう。この岩島自体が、姫津漁港の防波堤の役目を果たしていて、漁港と岩島の間が、広く船の出入口として整えられたようだ。
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 これは、うまい考えであったかもしれん。二つの岩島を利用して、西からの波浪を防ぎ、北と南の岩を開削して船を通すようにすれば、その奥にある漁港は守られる。
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 これまた、勝手な想像だが、元はといえば大崎鼻から灯台、ちょっとした谷筋にあたる集落のあるところは、一体であったのではないか。漁港も、岩の海岸の凹んだ入江を大きく広げて港にし、だんだんとコンクリート護岸で今のような形ができあがってきた、そんな気がする。
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 漁港が発達する前の風景を想像してみると、この付近特有の岩のでこぼこが大きく張り出していた。その先端部を大崎鼻と呼ぶようになるのも、自然ななりゆきだったのだろう。
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 「ひめつ」という呼び名には、現在ではかわいいお姫様を連想する字が当てられているが、ひょっとしたら、ここは「秘めたる津」の「ひめつ」ではなかったのか?
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 岩の台地の間にできた凹みと、岩の入江の奥に隠されたようにある湊と集落…。地理院地図をじっと眺めていると、そんなイメージが広がってくる。
 その地理院地図では、平島と横島の表記に加えて「尖閣湾」とあるが、これのどこが湾なんだろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
38.086326, 138.240262
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dendenmushi.gif信越地方(2014/05/17訪問)

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