
外海府海岸、というのが佐渡の北側西海岸の呼び名であるらしい。県道45号線が一本だけ通っていて、バスはひたすら北へ向かって走る。多くのでこぼこを伴う千畳敷から始まる岩の海岸風景は、それぞれ見どころもあるのだろうが、こちらはあくまでも岬めぐりオンリーでいく。

が、それも、全部が全部バスを降りて歩いて回ることはできない。車窓風景でつなげるところはつないで行き、ここぞというところでバスを降りる。しかし、それも次のバスの便との相談をしながら、最終の便で北の端まで到達できることが条件となるので、あまり頻繁に降りるわけにもいかないのだ。
千畳敷の弁天崎についで北にある岬は、小川の大崎鼻。ここは集落の西に突き出た岩場の張り出しのうえに、宿泊施設もあるところだ。計画の段階ではそこに泊まる案も検討してみたのだが、まとまらなかった。

県道はだいぶ海岸から離れて走っているので、わずかに集落の間からそれらしいところが見えるかどうか、という程度になってしまう。
そこで、この大崎鼻は、南と北両方からの遠望で…。

千畳敷を後にしたバスの車窓前方にまず見えてくるのは、50メートル足らずのピークをもった鬼ヶ城の出っ張りである。
こういう、ゴツゴツした岩が道なき海岸をつくる場所を“鬼の城”と見立てて呼ぶのは、全国に共通している。その代表格が三重の熊野路にあった鬼ヶ城だろうか。
佐渡の鬼ヶ城は風雨のなかに黒い影となっている。千畳敷の弁天崎からは、その黒い出っ張りの奥に、さらに薄い影になって伸びているのが大崎鼻である。

バスは小川の付近で軽い峠を乗り越えて北へ進み、集落が急に切れると、田圃と海岸がしばらく続いていく。

地理院地図でみると、この沖合に∴マーク付きで「佐渡海府海岸」と記している。海岸線は、岩の角が何本も並んで海に突き出しているような地形になっているので、そうした海岸美を愛でたものだろう。
しかし、それらをめぐるには、船でも浮かべてみないと、見ることはできそうにない。
佐渡市世界遺産推進課の文化財室がつくっている「佐渡の文化財」のページでは、佐渡海府海岸について、国指定の名勝として以下のように紹介している。
大佐渡山脈の北側、下相川から両津弾崎に至る延長約50㎞の海岸地帯です。尖閣湾に代表される相川側は、海岸線の出入りが激しく、相川凝灰岩を主とする火成岩からなる壮大な海岸段丘と海にせまった柱状節理が特徴で、日本海の激浪によって刻まれた厳しい風景が広がります。一方、大野亀や二ツ亀で代表される両津側は、硬い粒状玄武岩の岩盤のため、相川のように海岸段丘は発達していませんが、陸地が大斜面の状態で海へなだれこみ、海上の島々や半島などが加わり、豪壮な風景を見せてくれます。

なるほど。大崎鼻から達者にかけて、岩のでこぼこ海岸は続く。地図にある赤島というのは、これのことだろうか。

こんなふうに、海岸近くの島もその頭のほうだけしか、バスからは見えない。赤島は確かに赤い。これが相川凝灰岩なのか。どうも、こういう説明がピンと来ないのは、説明不足と表現の問題で、シロウトを混乱させるからだろう。「相川のように海岸段丘は発達していませんが」というが、これは立派な海岸段丘ではないのか?


この先で達者の黒島(こちらは島という名があるが陸地とくっついた出っ張り)との対照で付けられた名かもしれない。“達者”というのもおもしろい名前だが、これにもちゃんと話がある。生き別れとなっていた「山椒大夫」の母とその子の厨子王が、この地で再会してお互いの達者を喜んだ、というのである。ほんまかいなと言いたくもなるが、かわいそうで悲惨な話が中心のこの物語で、少しばかり慰められる場面の舞台がここだった。


その長い海岸線に多数の岩のでこぼこを伴った大崎鼻を、達者の入江と黒島から大きく西へ飛び出している姫津から見る。

38.060599, 138.233417




ラベル:新潟県