845 追石鼻=出雲市大社町日御碕(島根県)神も集う出雲の国にきて人はなにを願うのだろうか

桂化木の波根町から東へ走ると間もなく大田市が終わり、出雲市の多伎町となる。石見国は大田市までで、ここから中海までが出雲国である。
海岸から離れていた山陰道9号線も、国境を越え、出雲に入ると同時に、田儀駅の手前付近からずっと海に寄って行き、遠くに島根半島の西の端が見えてくる。その先端は日御碕…といきたいところだが、それはこの北北東方向の奥になるので、ここからは見えない。見えているのは追石鼻(おいせはな)である。

そして、その右手にあるのが赤石鼻なのだが、ここからではまだそれははっきりと識別できない。
この海岸から東の長い浜は、きれいにゆるく湾曲した砂浜の汀が続いている。この開放的な湾には「大社湾」という呼び方も一部にあるようだが、国土地理院の地図には、その表記は出てこない。

砂丘もあるこの浜には、東の出雲平野から二条の流れが注がれている。神戸川と堀川である。
はるかなたたら製鉄の西に連なる山谷から流れてきた、南側の神戸川を「くにびき海岸大橋」で渡り、平野に始まる高浜川と古内藤川を合わせて流れる堀川を渡ると、一畑電鉄の出雲大社前駅から大鳥居でバスを降ろされる。

この鳥居の前も、前から比べると道幅が広くなっているようだ。スポーツは見るだけ専門のでんでんむしは、自分は走らないで人が走るのを見るのも好きで、毎年シーズンの始まりを告げる出雲駅伝も、ここをスタートとしているのを見てきた。
ただ、フジテレビの中継でしか見られないこの駅伝、どこをどう走っているのか、いつもよくわからない。だいたいが、フジテレビがスポーツ中継などに手を出すのが間違っていると思うほど、いつもギャーギャーとうるさいだけの音を消して見ているので、よけいわからないだけかも…。

大鳥居からぞろぞろと、団体さんらしくまとまりのない列をつくって松並木の参道をくぐり、出雲大社に参拝。

前回来たときには、ちょうど高い社殿に向かうどこにもないくらい長いスロープの階段を支える、大きな丸木を三本組み合わせた柱があったことが、発掘でわかった直後であった。当時の社殿の復元想像図というものが掲示してあったが、すでにそれも新聞などで賑々しく取りあげられていた。その図からは、これはそれまで抱いていた出雲大社のイメージをまったく覆す、強い力が感じられた。それくらい、これは衝撃的なものだった。
こういう場所では、地元のガイドがついて、その旗のもとにぞろぞろ行くのが団体さんの流儀だが、お守りなどを売っている社務所の窓口で、どこやらの何やらを修繕するので金1000円也を寄進すると名前を書いて奉納してくれるとかなんとか、そのガイドがうまいこと言うと、少なからぬ人数がちゃんとそれにしたがって財布を取り出して名前を書いていた。これで、ガイドの顔も大きくなるのだろう。
あとはこれまたお約束に従って、土産物屋まで案内され、お茶を一杯いただいて、バスの出発を待つ。
追石鼻のあるところも赤石鼻がある場所も、所在地名表記は「出雲市大社町日御碕」で同じである。
日御碕へ行くには、大社前から杵築北を北西に向かう一本道の道路を北西に向かって走るのだが、大社を後にした今回のツアーは日御碕は無視して、一路玉造温泉の宿を目指して出雲平野を走っていく。
前にいちおうは項目をつくっている日御碕(050 日御碕(島根県)ただひとり立っている)へも、とにかく改めて再訪をしたいとは思っている。
前回訪問のときは、バスがウミネコ繁殖地である経島の南の漁港と谷間の小さな集落までしか行かないで、折り返しバスの時刻までの数十分の間に、灯台まで往復してこなければならず、はなはだ慌ただしかった。
山の中を日御碕までいける道路もできているようだし、次回はできれば大ソテツも見て宇龍の漁港まで歩くくらいの余裕をもって行きたいものだが…。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度25分6.42秒 132度37分25.98秒




この記事へのコメント
平成の大遷宮とやらで 御本殿は天幕の中σ(´~`)ξ4残念
さすがにすごいですね~