844 大崎ヶ鼻=大田市五十猛町(島根県)もう銀は採れないが鉱物資源にも恵まれた中国山地はただものではないような

温泉津(ゆのつ)町からは大田市(おおだし)入る。この付近から山に入ったところには、大江高山(808メートル)があり、その峰の北側に石見銀山があった。銀山などの鉱床を生む凝灰岩類(グリーンタフ)が、島根県のこの付近には広く分布しているからだ。さすがにもう銀は採れないが、現在でもグリーンタフに伴う鉱床からゼオライトや、ベントナイトなどを産出している。

仁摩町の海岸には、ふるさと創生資金でできた仁摩サンドミュージアム(“一年計砂時計”があるのだとか)があり、琴ヶ浜は鳴り砂で有名。ここでは“鳴き砂”ではなく“鳴り砂”で、鳴くのではなく鳴るのだ。

仁摩駅の次が五十猛(いそたけ)駅で、この付近には廃坑と書かれた鉱山マークもある。五十猛の漁港を北側で守っている大崎ヶ鼻は小さい島が砂州で本土と陸続きになり、そこに町が発達したように見受けられる。またしても“大崎鼻”だが、ここでは“ヶ”がある。
山陰海岸のこの付近では、50メートルほどの小山の上に貴重な灯台ものっけている小さな岬も、地図ではことさら目立っている。なにしろ、この地図のように日御碕と並んで大崎ヶ鼻だけが表記されている。(下の地図では、中央上端に日御碕、左下隅に文字が半分切れたが大崎ヶ鼻)

でんでんむしが、初めて登山らしい登山をしたのは中学生のときで、出雲のたたらの谷を広島県との県境に詰めたところにある道後山(1,268メートル)であった。
以来、数少ない機会ごとに、広島県と山口・島根両県の県境にある山々を歩いていたが、その途中で東京に出てしまったので、中国山地山歩きのアルバムもわずかなページしかない。
全般的に、山と山が織りなすヒダのような谷間と盆地には川が流れ、その流域に人が住んでいる。人里が近いこともあって、人工植生の樹林も多いが、落葉広葉樹林帯のなかにダケカンバやブナの純林などもあったり、植生も豊かな変化のあるこの山地は、こうしてみると、なかなか味わいのあるところなのである。
人の往来を阻むような高い山がなく、川沿いに行けばこの山地を南北に横断することは、そうむつかしくない。毛利と尼子が互いに兵を出し入れして争ったのも、そういった地形を考えてみれば、きわめて自然なことだった。
江津で日本海に注ぐ江の川は、くねくねとうねる流れを遡上していくと、その水源は広島県三次市あたりからさらに幾本にも枝分かれした支流が山に分け入っている。名前も広島県では可愛川と呼んでいたはずだが、この頃では“江の川”に統一されているようだ。分水嶺が県境を分けているわけでもないので、広島県の水源から日本海に流れ出ていることになる。

大田市の市街がある山陰本線大田市駅の次は、久手駅。ここでは9号線はまた山陰本線と離れるが、水田が広がる平地の向こう、海岸に屏風のように立ち並ぶ細い山が見え、この左手奥には笠ヶ鼻があるはずだ。
こうして遠くから見ても、いかにもおもしろそうな地形なので、次の機会には仁摩からここも歩いてみたい。


国土地理院の地図には、∴マーク付きで「波根西の珪化木」という表記があった。これはいわば、木の化石といってもいいもので、ケイ素分を多く含んでかなり硬く、一部が石炭になっているものもある。逆に言えば、珪化木は「石炭になりそこねて石になった木」でもある。

うーむ、やっぱり中国山地はただものではないような。といっても、そのほとんどが山陽ではなく山陰なのだ。

バスは徐々に北向きに走る方角を変えつつ、出雲路へ入る。
ChinchikoPapa さんからは、先にご自身のブログのnice!返信として「日御碕の灯台もよかった。出雲路を楽しみにしている」とのコメントもいただいているのだが、残念ながら今回はその期待にはほとんど応えられまい。
それというのも、このバスは、とにかく出雲大社に行き、その後はこの日の宿のある玉造温泉へ急ぐだけ。日御碕など、まったく眼中にないようだからである。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度11分25.63秒 132度25分6.11秒




この記事へのコメント
日御碕の灯台や絶壁、素戔嗚社(日御碕神社)の近影を、ぜひ見たかったのですが。w
砂の中の石英などがこすれて、出す音なんですが、ここではなく別のところではキュッキュッというような感じで…。
そうしてまた、故郷の風景や歴史を見直してみるのは、ほんとに楽しいことですね。
本文にも書いていますように、ここらはぜひ車窓だけでなく、歩いてみたいようなところでした。
「岬の螢」は知りませんでした。機会があったら読んでみようと思います。