728 天崎=加賀市橋立町(石川県)“故郷の海に逢うたけれども”と呑み込んだことばも聞いてみたいけれども
天崎(てんさき)は、橋立漁港の西側に突き出た岬である。
が、その前に前項の最後に生じた疑問を、少しだけつついてみたい。
「加佐」という地名は、全国でも兵庫県三木市にひとつあり、京都府の舞鶴市にも大江山に近い山間部に残っているだけである。2006(平成18)年に京都府の大江町が福知山市に吸収合併される前まではあった「京都府加佐郡」は、8世紀から続いてきた郡名だった。合併はそういう時代の重みも軽々とうち捨て、由緒もヘチマも洗い流して、なかったことにしてしまう。
1300年以上も使ってきた「加佐郡」の、「加佐」という文字自体に意味があったかといえば、これが実はよくわからない。
加賀市の「加佐」は一岬の名に過ぎないので、ほかにそういう地名があるわけでもない。加佐ノ岬や、この天崎がある町の名が「橋立町」というのも、なにやら京都と関連付けたくなるような雰囲気があるが、それもよくわからない。強いていえば、北前船つながりというは想像できなくもないが…。
「加賀市」というのも、広い旧国名を狭い自分とこだけに当てはめてしまうと、これまでもよく物議を醸してきたパターンなのだが、ここがそれを名乗ったのは近年の合併ブームのずっと前で、早いモン勝ち。1958(昭和33)年に、石川県江沼郡の大聖寺町、山代町、片山津町、動橋町、橋立町、三木村、三谷村、南郷村、塩屋村が合併・市制施行して加賀市が誕生しているのだ。
現在の加賀市は、この旧市に、同じ江沼郡の山中町が加わって、2005(平成17)年に新設合併している。この過程でも、どこにも「加佐」は出てこない。
また強いてこじつければ、「加賀」を「たすけ(佐)る」という意味なのかなあ。大聖寺藩だからねえ。これは、思いつきで根拠はありません。
キャン・バスを降りたところにある北前船の里資料館へは、「はくたか」が遅れたせいで予定変更したため、ここでの時間があまり取れなり寄ることができなかった。が、「…の里」の意味がいまひとつよくわからないで、その前を通り過ぎていた。
しかし、加佐ノ岬から天崎へ行く道の途中に、シゲ浜という小さな浜があって、その上に掲示されていた説明板では、「北前船の船主や乗組員の多くが橋立町(当時は江沼郡橋立村)の人びとでありました。」とあった。
そうなのか。それはびっくり! それなら「…の里」の看板に偽りはない。
なるほど、ここは日本海ルートの中間部に位置していて、能登半島を越える前後にあたるので、そういうことも関係あったのかもしれない。
その掲示とは向かい合って、シゲ浜には歌碑と顕彰碑が並んで立っている。三波石に刻んである歌を読んでみる。
廣重の 藍よりすこし 濃い色の
故郷の海に 逢うたけれども
この歌の作者は、西出朝風(1885〜1943)といって、当地の北前船の大船主の家に生まれ、東京へ出て現代語による短歌を提唱した人だという。後に金沢を拠点に「北国新聞」で活動したようだが、ここへ来るまで知らなかった。歌碑に刻まれた歌は、今みるとかなり普通でまともであるが、当時としてはこれでもかなりハゲしいものだったのだろうか。
世のそしりにも屈することなく、口語短歌の普及に努めた先見の明と勇気は北前船魂に通じる、と歌碑の隣にある顕彰碑文は強調していた。平成18年(「京都府加佐郡大江町」がなくなった年と同じ)に建てられたこの碑には、「橋立町民と有志がこれを建てた」と刻んであった。偉人伝にはならないけれども、こういった地域が誇れる人をもっているということは、喜ばしいことなのだ。
天崎とは、橋立漁港の堤防の代わりのようになって、シゲ浜から東に数百メートル長々と伸びた尾根の先端のことをさす。キャン・バスのガイドのおねえさんは、加佐ノ岬と尼御前岬は当然知っていたが、その中間にあるこの岬の名は知らなかったようだ。iPadにPDFファイルにして入れた電子国土ポータルの地図(これにしかこの岬は記されていない。また、その度にいちいちWiFiをつなげて地図を開くというのは面倒すぎるので)を示すと、「まあ、最先端ですねぇ」と驚いてくれた…けれども。
橋立漁港は西の旧港と東の新港からなっているようで、天崎から狭い水路を入った旧港は、古い昔からの港の趣があふれている。漁船が、その大きさに応じて、それぞれの居場所を整然と守っている小さな四角い水面は、こんもりとした天崎の岬にしっかりと守られているので、鏡のように静かである。冬の寒さに備えるためか、岸壁の上の高いところに、浜小屋のような役目をするらしい文字通りの長屋が連なっているのがめずらしく、独自の漁港の雰囲気をつくっている。
東側の新しいほうの大きな漁港には、これまたよく目立つかなり長い、漁船や漁具の保管施設という建物が横たわっている。
漁港が終わると、町名も橋立町から小塩町、田尻町とめまぐるしく変わり、田尻川が運河のように周囲の緑を分けで海に向かっていた。
これを過ぎると、「美岬町」である。
▼国土地理院 「地理院地図」
36度21分11.29秒 136度18分49.49秒
北陸地方(2011/09/07 訪問)
この記事へのコメント
北前船の当時から、この規模なのでしょうか。
まだ夏の香りの残る北陸の海もきれいですね♪
これが、北前船の頃どうだったのかは、その付近にはなにも情報がありませんでした。