戎崎は住吉崎のすぐ西側の出っ張りで、道はまったくないので、大川峠を越える道の途中から、垣間見るくらいしかできない。人の気配もないここには名前がついているのに、この山の南、深山地区の国民休暇村のある大きな丸い出っ張りには名前はない。きっと、戎崎の名にはそれなりの理由があってのことだろう。戦時中は、この一帯は軍の要塞地帯でもあったらしい。それと関係があるのかないのか、そこまでもわからない。これも、岬めぐりのほとんどの場合に言えることなので、いちいち気にしない。
峠道をしばらく行くと、二つの尾根の切れ間に、海が少しだけ顔を出す。その左側が、戎崎にあたる。
さらに右に左に曲りながら登ると、途中に閉鎖されたレストハウスの建物が、空しく残っている。車が通っていた頃は、それでも役目があったのだろうが…。
大川トンネルができたのは、1993(平成5)年頃のことだという。その頃には同時にこの旧道の必要もなくなっただろう。だが、それからすぐに閉鎖され車両通行止めになったわけではなく、まだ10年以上は車の通行ができていたわけだ。車両通行止めになったのは2006(平成18)年からというから、つい数年前である。
閉鎖されることになったその理由が、和歌山県のホームページにあるが、いささか情けない。人の目が行き届かなくなっても、この世の中は崩壊していくものなのだ。それも、ところかわまず車を乗り回す無分別な人間たちによって…。
改めて、このコースを活かすことも考えるつもりというが、現在はまだ“当分の間”のうちで車は通行止めのままで、ここを歩こうという酔狂な人もいないので、静かでのんびりと歩ける、絶好のルートである。
コンクリートの道路の真ん中には、草が生えはじめている。テレビで“科学シュミレーション”と銘打ってやっていた番組で、「もし、人類がいなくなったら、この世界はどうなるか?」というのがあった。奇しくもこの同一テーマで異なる番組が、NHK-hiと民放BSの両方で流されていた。もちろん、どちらも日本制作の番組ではないのだが、理由は問わず、ある日突然人間がいなくなった地球が、長い時間をかけてゆっくりと自然に返っていく様子が、なかなか興味深い番組だった。
辺りに誰もいない無人の、放棄された道路を歩いていて、それを思い出した。
120メートルほどしかない大川峠の最高地点には、表示板を外したポールだけが立っている。ここは峠とはいえ、そうしんどい登りでもなく、急げばあっという間に通り抜けることも可能だ。だが、ここはゆっくりと辺りの山の景色などを楽しみながら歩く。
この山の地盤が、紀淡海峡と鳴門海峡でいったんは海に没しつつも、淡路島と友ヶ島をはさんで四国まで続いているのだと思うと、それも不思議なことだ。その友ヶ島の西側の端が見える。
親不知で偶然にカモシカに出合ったのも、ちょうどこれと同じで通行止めになった旧道のガードレールの脇だった。
ここでは、カモシカはおろか、タヌキもウサギも出てこないが、どこかで鳥の声はしている。鬼太郎のちゃんちゃんこのような縞模様の下りのヘアピンカーブを過ぎると、まもなく大川トンネルの南口に達し、車も走る一般道に戻り、深山の集落に出る。
そこには、山の上にある加太国民休暇村の運動場などが広がっている。今回も、いちおうここに泊まることも検討してみたのだが、前日の予定がいつ頃フリーになるか不明だったうえに、ホームページで見る限り、どうも加太の魚料理が売りでグループの宴会に重点をおいているようだ。2人以上のプランしか表示していないので、パスすることにしたのだ。
34度18分25.02秒 135度4分35.85秒




足元の地盤が二つの海峡を越えて淡路島から四国にまでつながっている──という実感も楽しい。それにつけても、永年の波による浸食作用で陸地の角がとれて「金平糖が変わり玉みたいになる変化」が生じなかったことは幸甚。もしもそんなことがあったら、世の中に岬といふものなどなかったでせうから。
一時期は、ニホンカモシカも絶滅しかかっていたのですが…。
見てもね、なんにも覚えていないんだから…。