水俣チェリーラインにあった御所浦町の金文字「感謝の碑」だが、13キロ離れたところというので、陸続きの北東方向ばかりを探していて、見当たらないと思ったのは、プリントしてもってきたMapionの地図に北北西に離れている天草の島までは含めていなかったためである。それでも、水不足、海底送水管…とくれば、すぐに「島」と考えるべきだったのに…。そのことに、あの碑を見たときに、思いいたらなかった自分が情けない。
そして、その天草の島は、八代海を挟んで最短で10キロほどしか離れていない。水俣市もいちばん北の外れにあたり、湯の児温泉がある大迫からみると御所浦島は真っ正面の海の向こうにはっきりと浮かんでいる。今は、広域合併で天草市に吸収されているので、御所浦町はすでにない。


少し目を右に転じると、そこには鈴かな湾が広がり、奥まったところに小さな小島を伴った湯の児島とその向こうに要崎がちょっとだけ見える。この岬も、小山の出っ張りで道がないので、遠くから眺めるだけになる。


その右手には湯の児の温泉街が見える。もちろん、最初に計画したときには、ここに泊まることも考えた。だが、結局泊まらなかったのはホームページで見る限り、ここも多くの温泉街と同じく、どうも一人旅の客は念頭においていないようなのである。
そういう印象があるところには、何軒かあたっていけばどこか泊めてくれるところもあるには違いないが、ムリしていくと必ずイヤな目にあうととも、これまでの経験でわかっている。なので、そういうところはこちらから願い下げということに決めているので、さっさと引き返すことに。
湯の児を越えて更に北へ行けば、葦北郡津奈木町に入り、その海岸にはいくつも岬があるのだが、それはまた次の機会に譲ることにした。要崎もそのときにまた改めて、今度は津奈木湾の北側から眺めることができるだろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度14分16.59秒 130度25分21.46秒




ラベル:熊本県
土本典昭さんが亡くなりましたね。“さん”なんていふと、いかにもよく知っているやうですが、じつは作品は何も観たことがない。今さらながら「水俣病追って40年」はりっぱな人生だと思うばかりです。
瀬戸内海も昔はこんな海だったんでしょうね…
ずっと昔のきれいな瀬戸内海と、汚れていた高度成長前夜の瀬戸内海と、またきれいさを取り戻した瀬戸内海と、いちおう知っているでんでんむしです。