

野底の集落の中心は、野底崎とそこから北東に約4キロ弱ほど離れた野底石崎との間を主に広がっている。ここも島のあちこちにある開拓地のひとつで、それは伝説がいくらかの真実のうえに成り立ち伝えられてきたことを示している。石垣島の歴史は、開拓の歴史でもあった。近世まで、マラリアと闘いながらの過酷な状況のなかで、それは続けられてきた。
「ヌスクマーペー」の伝説が琉球王朝時代の説話であるから、それがかなり前からあったことがわかる。ということは、移住してもそれが簡単には定着することができず、何度も失敗と挑戦を繰り返してきたのだろう。こうした島の集落のあちこちを訪ねると、わずかに平らで開けた土地を見つけてはそこで開拓し、畑を耕してきた先人の苦労が偲ばれる。

野底崎のところで入れるのを忘れていた。これが野底崎を正面?から見たところである。

石崎の先端から伊原間湾に面する道は、南東方向にぐるっと転回していくが、この岬を回ったところからは字名が変わって伊原間となる。ここから北を望むと、伊原間湾をはさんでダテフ崎と安良岳(366メートル)が見える。こうしてみると、平久保への半島も、なかなかの大きさである。

伊原間湾を回って反対側から野底のほうをみると、こんな感じになる。湾はあっても目立った漁港などはなく、このあたりでは漁業が生業となるようなこともないらしい。
生業というわけではまったくないが、この海岸沿いに有名な喫茶店がある。それが“島田紳助の喫茶店”である。そのことは、彼が自分の番組でちょろっと宣伝するので、全国的に有名になっているらしい。でんでんむし自身も、いったい石垣島のどこに喫茶店を開いたのだろうと想像がつかなかったのだが、来てみるとそれは回りには人家もまったくない道路際であった。

もちろん、こんな場所では島の人が来るわけはないし観光バスが寄るわけでもなかろうから、レンタカーでやって来る物好きな観光客くらいしか客は当てにできないだろう。ただ、平久保の灯台へ行く車は必ず通る場所ではある。それにしても、決して“行列ができる喫茶店”などではない。
何本ものレギュラー番組を持つ有名売れっ子タレントが、石垣島に喫茶店を開いたといっても、店の前に彼の人形が立っているが別にそこに本人がいるわけでもないし、それ自体がどうこういうことでもないが、情報社会の恐ろしいところはそういうことがあまねく全国的に知れ渡っている、ということである。
だが、島の人は紳助に対しては好意的のようである。その理由は「石垣島の宣伝をしてくれたから」ということになるのだろう。実際、彼の喫茶店のおかげで、石垣島が沖縄本島よりもさらに遙か離れた南西の海に浮かぶ島々のひとつであることを、はじめて知ったという人も多いらしい。
沖縄地方(2008/03/05再訪)
「トムル崎=石垣市伊原間(沖縄県)琉球列島でいちばん古い島が石垣島でそれを証明しているのがトムル層」の項 参照。
▼国土地理院 「地理院地図」
24度31分9.22秒 124度15分24.82秒


ラベル:沖縄県
当然、島田紳助は嫌いです。和田あき子との掛け合い、そこに社長(?)らしいのが出てくるかつらのコマーシャルを見ると「よくもこうお下品な顔を並べたもの」と呆れます。
芸能人については、おっしゃることは、よくわかりますし、同感でもありますけど…。