220 伊良湖岬= 田原市伊良湖町(愛知県)ヤシもわしも故郷の岸を離れて…
先週、淡路島からの帰りに神戸空港から乗った飛行機が、ちょうど三河湾の上を横切ったので、伊良湖岬の上空から岬と神島のツーショット写真が撮れた。

別に岬めぐりなど関係ない興味もないという人でも、この岬の名は知っているだろう。いわば、日本の3700岬のうちでも、超有名な岬のひとつといっても過言ではない。古い歌を並べるNHKの番組(これはFMラジオだったかも知れんな。でんでんむしも、そういうのが好きなのだが)で、山本コータローとウィークエンドの『岬めぐり』の前振りで、誰かがこの歌の岬を伊良湖岬あたりだと解釈してしゃべっていた。“岬評論家”としてはそういういい加減な説が広まっては困るので、それは違うとあえて指摘しておきたいところだ。
だが、その歌のことについては既に書いているので、こちらをみていただきたい。いずれにしても、岬といえばここが思い浮かぶ人もいるくらい、有名だということだろう。
伊良湖岬を有名にしたひとつは、なんといっても椰子の実であろう。別に詩の中でそう特定しているわけではないが、なぜかこのエピソードは広く知られている。そのことについても、諸説入り乱れて賑やかだが、ここではもう触れません。
ところで、あなたは椰子の実を見たことがあるだろうか。この頃では、インテリアとして売られていたりするので、見たことがないという人も少ないだろうが、ではいちばん最初に椰子の実を見たのは、いつどこで?
でんでんむしのヤシの実は、もうはるか大昔のことになる…。なにしろあれは原爆が落とされる前のことなのだから。

椰子の実が流れ着いたとされるのは、伊良湖岬の太平洋側の恋路ヶ浜である。いつも強い風と波が押し寄せているここには、流れ寄り吹き溜まるのは椰子の実ばかりではない。その写真はあまりに悲しいので、ここには載せない。
岬を回って行く遊歩道がある。南側からそこをぐるりと一周して、フェリーターミナルへ向かう。
道は波が打ち寄せる間際に、すべて石組みでできている。強い風で、いつもきれいに清められたような、石の道である。向こうに見えているのが神島。なんとなく『2001年宇宙の旅』を連想してしまう骨のような流木が岩の間に刺さっている。これは、自然にそうなったのだろうか、それとも誰かがおもしろがってこんなふうに突き刺したのだろうか。これはやはり、後者だろうな。



灯台もあるが、これはかなり小ぶりである。それでも一人前に立派な灯台の姿をしている。灯台には詳しくないが、ここにあるのはおそらく沖行く船のためのものというより、水道を出入りする船のためのものであろう。たとえば、この真崎灯台のような標識灯のスタイルで済むところを、わざわざ観光用に灯台の形にグレードアップした…というようにもとれる。


なにも、そんなことまで勘ぐらなくてもいいのだが、これはもうでんでんむしのクセのようなもので、しかたがない。
鳥羽へ渡るフェリーの上から、遠ざかっていく伊良湖岬を眺める。

それにしても、湖などどこにもないのに、なぜ伊良湖というのだろう。しかも、ここは“いらご”であって、“いらこ”ではない。“湖”は“ご”とはふつー読めない。ふと気になって調べようとしたが、それはどうもよくわからない。ただ、これは単に文字を当てはめただけのようだ。
その代わり、「遠き島」というのは石垣島ではないかというので、1988年頃そこからヤシの実を流してみたところ、14年後にそれが伊良湖に漂着したということを書いたページを発見した。これは石垣島のシンガーのページで、それによると、ヤエヤマヤシと広島の大学の椰子博士のこと、石垣島米原のことなどにもふれてある。(注:このページは今ではリンクが切れていた)
なんと、でんでんむしが離れた故郷の岸は広島であり、石垣島にはこれも縁があって、3月になったら行くことになっているのだ。なんでも、つながっているモンだねえ。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度34分47.35秒 137度0分58.26秒

東海地方(2007/12/18 再訪)

別に岬めぐりなど関係ない興味もないという人でも、この岬の名は知っているだろう。いわば、日本の3700岬のうちでも、超有名な岬のひとつといっても過言ではない。古い歌を並べるNHKの番組(これはFMラジオだったかも知れんな。でんでんむしも、そういうのが好きなのだが)で、山本コータローとウィークエンドの『岬めぐり』の前振りで、誰かがこの歌の岬を伊良湖岬あたりだと解釈してしゃべっていた。“岬評論家”としてはそういういい加減な説が広まっては困るので、それは違うとあえて指摘しておきたいところだ。
だが、その歌のことについては既に書いているので、こちらをみていただきたい。いずれにしても、岬といえばここが思い浮かぶ人もいるくらい、有名だということだろう。
伊良湖岬を有名にしたひとつは、なんといっても椰子の実であろう。別に詩の中でそう特定しているわけではないが、なぜかこのエピソードは広く知られている。そのことについても、諸説入り乱れて賑やかだが、ここではもう触れません。
ところで、あなたは椰子の実を見たことがあるだろうか。この頃では、インテリアとして売られていたりするので、見たことがないという人も少ないだろうが、ではいちばん最初に椰子の実を見たのは、いつどこで?
でんでんむしのヤシの実は、もうはるか大昔のことになる…。なにしろあれは原爆が落とされる前のことなのだから。

椰子の実が流れ着いたとされるのは、伊良湖岬の太平洋側の恋路ヶ浜である。いつも強い風と波が押し寄せているここには、流れ寄り吹き溜まるのは椰子の実ばかりではない。その写真はあまりに悲しいので、ここには載せない。
岬を回って行く遊歩道がある。南側からそこをぐるりと一周して、フェリーターミナルへ向かう。
道は波が打ち寄せる間際に、すべて石組みでできている。強い風で、いつもきれいに清められたような、石の道である。向こうに見えているのが神島。なんとなく『2001年宇宙の旅』を連想してしまう骨のような流木が岩の間に刺さっている。これは、自然にそうなったのだろうか、それとも誰かがおもしろがってこんなふうに突き刺したのだろうか。これはやはり、後者だろうな。



灯台もあるが、これはかなり小ぶりである。それでも一人前に立派な灯台の姿をしている。灯台には詳しくないが、ここにあるのはおそらく沖行く船のためのものというより、水道を出入りする船のためのものであろう。たとえば、この真崎灯台のような標識灯のスタイルで済むところを、わざわざ観光用に灯台の形にグレードアップした…というようにもとれる。


なにも、そんなことまで勘ぐらなくてもいいのだが、これはもうでんでんむしのクセのようなもので、しかたがない。
鳥羽へ渡るフェリーの上から、遠ざかっていく伊良湖岬を眺める。

それにしても、湖などどこにもないのに、なぜ伊良湖というのだろう。しかも、ここは“いらご”であって、“いらこ”ではない。“湖”は“ご”とはふつー読めない。ふと気になって調べようとしたが、それはどうもよくわからない。ただ、これは単に文字を当てはめただけのようだ。
その代わり、「遠き島」というのは石垣島ではないかというので、1988年頃そこからヤシの実を流してみたところ、14年後にそれが伊良湖に漂着したということを書いたページを発見した。これは石垣島のシンガーのページで、それによると、ヤエヤマヤシと広島の大学の椰子博士のこと、石垣島米原のことなどにもふれてある。(注:このページは今ではリンクが切れていた)
なんと、でんでんむしが離れた故郷の岸は広島であり、石垣島にはこれも縁があって、3月になったら行くことになっているのだ。なんでも、つながっているモンだねえ。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度34分47.35秒 137度0分58.26秒


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