219 鎗ヶ崎=田原市伊川津町(愛知県)雨乞山に上るは高望み
渥美半島は、小高い丘と平らな畑が微妙に入り組んでいる。全般的にみると、太平洋側のほうが高く盛り上がっていて、三河湾に沿った辺りが低く平地が多くなっている。
ここは3回来ているが、そのうち1回は仕事で、豊橋鉄道の終点三河田原で降り、市街地を少しだけ車で走り抜けた。そのときも、“ここがあの渡辺崋山の出身地だったところなのだ”と思ったが、その前にその子孫と名乗る人に出合ったことがあり、言われてみれば有名な自画像にも似ているので、なにやらおかしかったことを思い出す。
豊橋に近い辺りは自動車会社の工場やらなにやらで、埋め立てがかなり進んでいて、自然の地形はほとんど残っていないが、伊良湖と三河田原の中間に、いくつかの洲に囲まれた入江がある。伊川という小さな港の先は、水と土のほとんど差がないような平地で、養魚場などの水面が広がっており、その回り込んだ先端が鎗ヶ崎である。

鎗ヶ崎は「し」の字型にできた砂洲だが、船の出入りのためにその途中が開削されており、ほとんど島状態なのだが、なにしろ見渡す限りただ平らなので、堤防や港に立つだけでは、なんのことやらさっぱりわからん。
ちょうど入江を見下ろす位置に雨乞山という山があるので、そんなちょっと高みに上って見ることができればよいのだろうが、それもこの際は高望みというものだ。


鎗ヶ崎の西側には、西浜から遠望した立馬崎がある。その間には、大潟洲という洲もあるのだが、もちろんそれも判然とはしない。だが、入江にひろがるヒビの間にそれらしいものは見える。


伊良湖へ戻るバスを待つ間、付近の家の間を歩いてみると、立派な門を構えた農家が並んでいる。申し合わせたようなその造りは、武家の長屋門のようで、物置で囲った実用的なものだ。と同時に、その豊かさを偲ばせる。

だが、この半島はもともと水が少なく、農地には適していなかった。なにしろ、雨水を蓄えておく山がなく、長い川もないのだから…。尾張平野東部にはこれが共通課題としてあり、そのために愛知用水などを始めとして、幾筋もの用水路の整備が進んだのだ。ここ渥美半島には、今は豊川用水東部幹線という太い用水路が貫いている。
あれ、さっきいたおばあさんが誰かを待つふうで、バス停付近を行ったり来たりしている。道路の遠く遙かに小さな人影が見え、でんでんむしの歩みよりものろのろと休み休みこちらに向かっている。相当足が不自由なのか? 杖をついている。それにしては、このおばあさん、面倒をみるでもなくさっさとついてこいよという感じで待っているだけだ。
田原街道といわれる259号線は、車の通行量も多い。横断歩道を渡るでもなくのろのろとバス停の向かいまではなんとかやってきたおじいさんは、時刻表に表示されたバスの時刻が迫っているのに、そこへ腰をおろしてしまった。おばあさんは声を掛けて呼んでいるが、もうおじいさんは動こうとしない。バスの時刻がきたが、どうやら遅れているらしい。
しかたがないので、でんでんむしがおばあさんに「おじいさんもバスに乗るんですか?」と確認したら、そうだという。では、今のうちに…。道路を反対側に横切り、おじいさんの体を抱えるようにして、手を上げて車を制しながら、どうにか渡りきったところへちょうどバスがやってきた。

伊良湖行きのバスは、観光バスのようなきれいなバスで、しかし実際は生活路線でもあるので、車内にはやはり年寄の姿が目立つ。全国どこでも、バスこそ高齢者の足なのだ。二人は途中のショッピングセンターなどがある停留所で、礼をいいながら降りていった。若い者がいっしょに暮らしていれば車で連れていくのだろうから、老夫婦二人だけが暮らしていて、バスで買い物にやってきたのだろうか。あるいは、病院へ行くところだったのかも知れない。
この半島の緑の野菜畑も、こうした老人たちが、ときには雨乞山に登ったりしながら、がんばって支えてきたものに違いない。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度38分53.76秒 137度7分39.49秒

東海地方(2007/12/18 再訪)
ここは3回来ているが、そのうち1回は仕事で、豊橋鉄道の終点三河田原で降り、市街地を少しだけ車で走り抜けた。そのときも、“ここがあの渡辺崋山の出身地だったところなのだ”と思ったが、その前にその子孫と名乗る人に出合ったことがあり、言われてみれば有名な自画像にも似ているので、なにやらおかしかったことを思い出す。
豊橋に近い辺りは自動車会社の工場やらなにやらで、埋め立てがかなり進んでいて、自然の地形はほとんど残っていないが、伊良湖と三河田原の中間に、いくつかの洲に囲まれた入江がある。伊川という小さな港の先は、水と土のほとんど差がないような平地で、養魚場などの水面が広がっており、その回り込んだ先端が鎗ヶ崎である。

鎗ヶ崎は「し」の字型にできた砂洲だが、船の出入りのためにその途中が開削されており、ほとんど島状態なのだが、なにしろ見渡す限りただ平らなので、堤防や港に立つだけでは、なんのことやらさっぱりわからん。
ちょうど入江を見下ろす位置に雨乞山という山があるので、そんなちょっと高みに上って見ることができればよいのだろうが、それもこの際は高望みというものだ。


鎗ヶ崎の西側には、西浜から遠望した立馬崎がある。その間には、大潟洲という洲もあるのだが、もちろんそれも判然とはしない。だが、入江にひろがるヒビの間にそれらしいものは見える。


伊良湖へ戻るバスを待つ間、付近の家の間を歩いてみると、立派な門を構えた農家が並んでいる。申し合わせたようなその造りは、武家の長屋門のようで、物置で囲った実用的なものだ。と同時に、その豊かさを偲ばせる。

だが、この半島はもともと水が少なく、農地には適していなかった。なにしろ、雨水を蓄えておく山がなく、長い川もないのだから…。尾張平野東部にはこれが共通課題としてあり、そのために愛知用水などを始めとして、幾筋もの用水路の整備が進んだのだ。ここ渥美半島には、今は豊川用水東部幹線という太い用水路が貫いている。
あれ、さっきいたおばあさんが誰かを待つふうで、バス停付近を行ったり来たりしている。道路の遠く遙かに小さな人影が見え、でんでんむしの歩みよりものろのろと休み休みこちらに向かっている。相当足が不自由なのか? 杖をついている。それにしては、このおばあさん、面倒をみるでもなくさっさとついてこいよという感じで待っているだけだ。
田原街道といわれる259号線は、車の通行量も多い。横断歩道を渡るでもなくのろのろとバス停の向かいまではなんとかやってきたおじいさんは、時刻表に表示されたバスの時刻が迫っているのに、そこへ腰をおろしてしまった。おばあさんは声を掛けて呼んでいるが、もうおじいさんは動こうとしない。バスの時刻がきたが、どうやら遅れているらしい。
しかたがないので、でんでんむしがおばあさんに「おじいさんもバスに乗るんですか?」と確認したら、そうだという。では、今のうちに…。道路を反対側に横切り、おじいさんの体を抱えるようにして、手を上げて車を制しながら、どうにか渡りきったところへちょうどバスがやってきた。

伊良湖行きのバスは、観光バスのようなきれいなバスで、しかし実際は生活路線でもあるので、車内にはやはり年寄の姿が目立つ。全国どこでも、バスこそ高齢者の足なのだ。二人は途中のショッピングセンターなどがある停留所で、礼をいいながら降りていった。若い者がいっしょに暮らしていれば車で連れていくのだろうから、老夫婦二人だけが暮らしていて、バスで買い物にやってきたのだろうか。あるいは、病院へ行くところだったのかも知れない。
この半島の緑の野菜畑も、こうした老人たちが、ときには雨乞山に登ったりしながら、がんばって支えてきたものに違いない。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度38分53.76秒 137度7分39.49秒


この記事へのコメント
コメントありがとうございました。
勉強になりました。
尾張平野も西に行くと、今度は木曽三川があって、こっちは洪水対策の歴史があります。
とかく、世の中はままならぬものであります。
突っ込みたいところ、まだあるんだけど、それはもうやめておきましょうね。