092 大房岬=南房総市富浦町多田良(千葉県)黄色いカーネーションによせて
大房岬の「大房」はどう読めばいいのか、行ってみるまでわからなかった。オオフサかオオブサか、ダイボウかな…? これが、“タイブサ”という混ぜ読みだった。吉野家の牛丼はギュウドンなので、とうぜん豚になればトンドンであるはずなのに、行って「トンドン並み」と注文してみると「ブタドンですね」と念を押され修正されたようなもんだ。
これだけ大きい岬で、周辺の字地名にも駅名にもなにもなく、岬だけの単独名であるために、どう読んでいいかわからなかったわけだが、おそらくはその大きな岬の形からの連想であろう。それが、地元の名物の枇杷の房であってもいいし、こどもを育てる女性の乳房であってもいいのだろう。
岬全体は、県の自然公園として整備され、キャンプ場や少年の家などの施設もあるが、ほとんどは自然のままの森と手入れされた草地や道路がめぐっている。ご多分に漏れずここも戦時中は軍の要塞地帯だったので、その残骸もあちこちに残る。しかし、だからこそ今日にまでその姿を残すことができたといえるのかもしれない。
この岬は浦賀水道の南端の入口に面し、遠く富士山も天城の山々も大島も城ヶ島も見える。いちばん高いパノラマ展望台から見ると、海が大きく広がって迫ってくる。
縮尺を大きく変えてみると、位置関係もよくわかります。
その夜は、この岬の真ん中にある富浦ロイヤルホテルに泊まった。でんでんむしは、このホテルグループの会員になっているので、ちょっとだけ安く泊まることができるのだ。このホテルは、なかなか気が利いたところもあって、部屋にはスポンジにさしたカーネーションの一枝がリボンに結んで置いてあった。南房総といえば花という看板はみごとに定着している。この日も平日にも関わらず、観光バスが5台もやってきていた。
カーネーションを眺めていると、遠い記憶がよみがえってきた。大昔のことだが、「母の日」という概念と形式が日本にも導入され始めた頃、小学校で造花のカーネーションがこどもたち全員に配られた。それが、“母親が健在でいるこどもには赤い花・そうでないこどもには白い花”をくれるという。今なら、さしづめそれだけで大問題になりそうなことだが、その当時でも意外というか白いカーネーションをもらったのは、でんでんむしのほかに二三しかなかった。
夜、部屋の電気を全部消して、窓の外からひさしぶりに星空をじっくりゆっくり眺めた。南西側の窓枠に区切られた範囲しか見えないので、「満天の」というわけにはいかない。が、星だけでなく、小さな漁船のいさり火もそこここにあり、洲崎灯台のだろうと思われる赤と青の灯が交互に回転している。それに加えて、ひんぱんに海のかなたから成田をめざして飛んでくるジェット機の点滅する灯が、なかなかジェットストリームっぽくてよかった。
ホテルのカーネーションは、赤でも白でもなく黄色い花が三つとつぼみが三つついていた。せっかくなので、持ち帰って空き瓶にさしてあるが、元気よく水が上がっている。このぶんなら、やがてつぼみも開くだろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度2分20.31秒 139度48分49.19秒関東地方(2007/03/12 訪問)
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