083 黒崎=宇部市大字西岐波(山口県)宇部常盤公園カッタ君も飛んだ空
旅行などというものは、昔はそう誰でも簡単にできるものではなかった。汽車に乗って、ちょっと離れた遠くへ行くということは、かなり特別なことだったのだ。少なくとも、でんでんむしの少年時代はそうだったので、広島にいて中学を終えるまでに行ったところといえば、修学旅行で小学校の別府と中学校で京阪奈に行ったことと、夏のキャンプで県境の道後山に登ったくらいしかない。そして、それ以外は二人の叔母がいた尾道と宇部に行ったことがあったくらい。まったく、世界は狭かったのだ。
だから、何度か行った宇部は懐かしい。叔母に連れられて従弟たちと行った常盤公園は、当時から宇部の自慢の一つだったらしい。濃い緑に囲まれた広い池がある公園で、ボートを漕ぎながら仰ぎ見た空は、見知らぬどこまでも飛んで行けそうな気が、あの頃はまだ漠然とあった。
今では、常盤公園といえばテレビでも放映されたモモイロペリカンの“カッタ君”で、一躍全国的に有名になっているらしい。そのカッタ君が通っている幼稚園があるところから数百メートル南東へ行ったところが、黒崎という小さな出っ張りである。山口宇部空港の北東端の先にあって、離着陸する飛行機からもよく見える岬は、回遊はできないが南側半分には階段状の護岸や公園整備が行なわれている。
空港の滑走路は、亀浦という小さな港とその出入り口を残すようにして延びているが、その先端には空港建設以前は鍋島という島があったので、かつては景勝の地でもあったらしく、古い料亭のような建物もある。
黒崎から海岸沿いに亀浦に向かって歩いている途中では、小さな古墳のそばに長門と周防の国境を示す石碑を発見した。国境の象徴であった鍋島がなくなってしまったので、その代わりに地元の人たちが建てたものだという。なるほど、ここが国境だったのか。
山口県は、昔の周防と長門の二州からなるが、国境はここから津和野の方面に向かって引かれていた。広島県は安芸と備後の二国からなり、鎌倉動乱時の大江季光の子孫が安芸の毛利となって中国一円を制する大藩になるも、西軍の一方の頭目に担がれたため関ヶ原以後は防長二州に封じられて、幕末に至って“長州力”が爆発して日本の歴史を変えていく…。
そんな、毎度おなじみの時と人とが織りなす歴史のふしぎさおもしろさが、少しでもわかるようになると、日本で初めて人工孵化で飼育されたカッタ君が飛んだ空も、狭いようだが案外に広く、どこまでも自由に想像の羽を広げて飛んで行けそうな気もする。
雪が降りはじめた空港を飛び立つ飛行機の窓からは、常盤公園も黒崎ももう消えていたが、そんなことを考えていた。
33度56分27.70秒 131度17分59.03秒


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