「坊勢」と書いて「ぼうぜ」と読むこの島は、名前の通り坊主に由来する言い伝えがあるという。883(元慶7)年に、覚円という僧侶が比叡山からこの島に配流されてきたが、弟子たちが師を慕って数十名も一緒に移り住んできた。それが島の名の起こりなのだそうだ。だが、坊主が大勢やってきても、“いわゆる生産性”は低かっただろうから、それが島の基…
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坊勢(ぼうぜ)島は、家島諸島の人が住む4島のうちではいちばん小さくて狭い。坊勢の本島は、形が崩れて失敗したクロワッサンのような形をしていて、その凹んだ部分が坊勢漁港となっている。漁港は島の北側奈座にも分かれてあり、こちらのほうには連絡線の桟橋もあるので、西の海に向かって開けている漁港のほうを西ノ浦とも称している。が、漁港として…
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塩崎とヒシノ鼻を後にした坊勢航路の船は、一路南西へ向かい家島の最南端である堂崎を回り込もうとしている。その堂崎を目指してまっすぐ進んでいるので、男鹿島の最南端である大崎や、さらにその南にある加島のボンノ鼻にはさらに近寄ることなく、だんだん離れていっている。
どんどん近寄ってくる家島には、堂崎の北側でもなんだか採石場のよ…
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大崎からは南東1キロのところから細長く始まる加島は、不思議な形をしている。遠目には大中小と3つの島が並んでいるように見えているが、これが全部でひとつの島。それぞれ中間部が細くなった砂洲でつながっている。
南北にちょっと斜めに長さ890メートルほどにつながっていて、北側のジョイントの部分は二本の砂洲の間に窪みがあって、海水を…
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男鹿島の最南端にあたるのがこの大崎。ヒシノ鼻からは南東2.4キロのところに位置するこの岬は、40メートルくらいの段丘状になっていて、その南西側は崖が続いている。崖の上はやはり採石場になっているようだが、ここを周回することはできないらしい。
ヒシノ鼻から続いている広い採石場は、段丘の崖にまで達している。
大崎の東側は…
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男鹿島の地図を眺めて特徴的なことは、採石場の石切のために無数の崖があることと、いわゆる通常の道路にあたるものの表記がどこにもないことだろう。全島が私有地で、公道にあたるものがまったくない、というのがその理由ではないかと想像できる。
島内にあるのは、二本の破線で描かれた道ばかりで、これは地理院地図の記号では「庭園路」を示して…
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岬名の拾い出しと表記は、国土地理院の地理院地図に拠っているのだが、Mapionも併せてみるとときどき発見がある。男鹿島のこの塩崎も、Mapionでは塩崎ではなく「淡賀楯崎」と表記されていた。どういう理由と経緯によるものか、ちょっと好奇心を刺激される。
というのは、「淡賀楯崎(たんがたてざき)」とは、そもそも18世紀の播磨国…
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姫路港を出た連絡船が家島諸島に近づいて行くと、左舷には男鹿島が、右舷には家島が見えてくる。家島の東北部に出っ張っているのが、尾崎鼻と天神鼻のふたつの岬。このふたつの岬の間は1キロくらいしか離れていないので、遠目には常に同じ視界に収まってしまう。
本来、独立させて別々の項目にすべきところではあるのだが、ふたつまとめて一項目とした…
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姫路港から南西に約18キロほど、播磨灘の沖合に島々が集まっている家島諸島へは、連絡船でおよそ30分くらいで行ける。2006(平成18)年に、この諸島全域が兵庫県姫路市に編入されているから、港から見えないほど離れていても姫路市内のうちである。
島の数は大小合わせて44もあるところから、四十四島の別名もあるとされているが、大き…
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