柳ヶ崎から北へは、唐松の松、堅田(かたた)の浮御堂といった昔の近江八景の名勝があるが、現在はどちらもすっかり住宅に囲まれてしまっているようだ。 湖西線の堅田駅付近には、琵琶湖大橋が架かっている。ここが琵琶湖南部で対岸との距離が1.35キロといちばん狭まっているところだ。そうだ。浮御堂までは大昔に来たことがあったのだ。それは、中学の修学…
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東海道新幹線を降りた京都では、すぐに湖西線に乗り換え、大津京駅までやってきた。京都駅が始発の、この路線に乗るのもひさしぶり。記憶ではかつてはさびれた支線の一つに過ぎなかったが、敦賀までの直通快速もあるらしいし、今では湖西線の存在感は大きいものがあるようだ。敦賀方面に出るには、距離的には米原を回るより多少短縮される。 昔から、数少ない京…
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自分ではまったく運動もしないし、ジョギングはおろかラジオ体操もしないのに、なぜか他人が走るのを見ているのは好きなので、“びわ湖毎日マラソン”も毎年3月の声を聞くと春を感じさせる琵琶湖の風景を見るのが楽しみでもある。このマラソンコースは、ほとんど瀬田川マラソンの趣を呈しているが、そのスタート・ゴール地点が、皇子山総合運動公園である。 茶…
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ひさしぶりの東海道新幹線である。通常は「のぞみ」に乗るときは、横須賀線で品川まで行ってそこで新幹線に乗り換えるのがいちばん便利なのだが、今回は「ひかり」なのでこの場合は東海道線で小田原まで行き、そこから新幹線に乗り換える。 ウエザーマップの予報を眺めながら、出発日を選んでいたが、計画を決めて予約をとったとたんにまた予報が変化して、傘の…
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東京生まれ東京育ちの友人が、昔学校の修学旅行か何かで大島へ行ったときに乗った船の名が「橘丸」であったという。船の名も襲名されることもある(漁船などは“第八十三なんとか丸”のように番号だけ変えるのが多い)ようで、この現在の「橘丸」は三代目にあたるらしい。 東海汽船の前身である東京湾汽船が、大正時代に建造して運航していた小型貨客船を一代目…
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「1377 サタドー岬」から始まった、三宅島の岬めぐりも、やっと逆時計回りで一周の輪を閉じる。この項目も、その輪を閉じるためにむりやりつくったことになるのかもしれない。 ここはクラマ根という表記はあるが岬ではない。しかしこの根はここだけ大きく長く東海岸で飛び出ていて、しかもその岩根をフル活用してつくられたのが、三池港であるらしい。 こ…
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ツル根岬や大路池に行ったのは「橘丸」に乗って芝浦桟橋に帰る日の早朝であり、ベンケ根岬へ行ったのは「橘丸」で錆ヶ谷港に着いた日の午後になった。 したがって、実際に歩いて行ったり来たりした順序とはこれも逆になるのだが、ここでは逆時計回りに三宅島の岬を繋いでいる。実際には大路池からは、次のバスでまた引き返して、伊豆岬入口まで行ったのだが、そ…
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大路池からツル根岬にかけての一帯も、もちろん溶岩の流れた大地なのだろうが、それは2500年前の大路池ができた噴火活動の時期かそれよりももっと前のことであろう。その後は大きな溶岩流はこの付近を襲っておらず、照葉樹林帯が一面を覆っている。 都道からみてもそこにあるはずのマールはさっぱりわからないが、その先端のツル根岬へは、地図でみると二本…
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専門家の説明がシロウトにわかりにくい原因のひとつは、専門用語をいとも気軽に振り回し、それですべてが済んだかのような終わり方をするからである。専門家同士ならそれでもかまわないのだろう。また、同時にいろんな専門用語表現を使い分けるのかどうか知らないが、あっちの説明とこっちの説明で違う用語を平気で使ってフォローしないということがよくある。こ…
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新鼻(にっぱな)という名は、当然に“新しくできた鼻”をさした命名であろう。とすると、この名はいつ頃につけられたものなのだろうか。 三宅島では最南端にあたるこの出っ張りは、付近全体では大きく南に張り出してはいるが、新鼻と名付けられた岬は、ほんの少しそこから飛び出す形で岩棚が海に突き出ている。その先には、新鼻ハナレという細長い岩島がある。…
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新澪(しんみょう)池跡には、バス停のほか休憩スペースやトイレ、それに駐車場があるので、おそらく薄木から坪田までの間を走る車にとっては、重要なポイントになるのだろう。駐車している車も1台、また後から1台増えたが、どうやらいずれも釣り人の車らしい。 ここでは、新澪(しんみょう)池跡の“跡”もポイントである。つまり、かつては池だったものが、…
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1983年の噴火の記録はそれなりにあるが、やはり誰かがそれをずっと観測していたというようなものはないようだ。誰かがカメラをずっと回し続けていたりすれば、その様子も明らかとなるが、こういう場合、まずそれは望めない。今なら、スマホで撮った動画をすぐアップする人がいるだろうけど。 新鼻(にっぱな)付近の様子も断片的な目撃情報などをつなぎあわ…
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まだ2000年噴火のずっと以前に、三宅島の2万5000分の1の地図を買ってきて眺めていたことがある。どういうわけか、火山島に行ってみたかったのだ。そのときは、結局地図を眺めるだけで終わったのだが、島の南部の地形に引きつけられた。大小のマール(水蒸気爆発によってできる縁のある円形火口)がいくつもあるし、北から南の海に向かう溶岩流の形跡が…
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この島の神様である事代主命(ことしろぬしのみこと)と伊古奈比姫命のことについては、「1381 大崎=三宅村神着」の項や椎取神社のところで書いていたのでもう解決したと思っていたら、とんでもない。解決しておりませんでした。 三宅島だけでなく、だいたいにおいて伊豆諸島の神様は、三島神社の祭神である事代主命とそのファミリーで統一されているよう…
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東京芝浦の竹芝桟橋を出た船や、運よく欠航にならずにやってきた八丈島・御蔵島からの船が出入りするここは、錆ヶ浜港(さびがはまこう)。 全島避難が解除になって以来、三宅島の玄関口の役目を果たしてきている、島の西側にあるこの港は、もともとはサブの扱いで、東側の三池港が使えないときに西のここに接岸するだけであったようだ。 どういう影響があった…
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今崎は、錆ヶ浜港の南に見えている、平たくて大きく丸い岬である。西へ張り出したその先端部は、三宅島の最西端でもある。夕景浜から錆ヶ浜まで、1.5キロにわたって続く断崖の海岸は、今崎海岸として括られ称されることが多く、今崎という岬をひとつ特定して取り上げることはあまりなさそうである。 三宅村の釣場案内によると、地理院地図が「今崎」ひとつの…
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