1350 箱崎=三豊市詫間町箱(香川県)まことに見上げた三豊市コミュニティバスが行くこの“箱”はあの「箱」のことな…

 高専を過ぎると船越湾と粟島が大きく広がるが、そこに「船越」という地名があるのは、かつては船で渡るところだったからだ。同様の地名は全国にかなり多い。荘内半島が中央でくびれて、そこで山が切れているのは、陸繋島のジョイント部分だからだろうが、バスはその間にある道を入って行く。反対側の海岸に出る手前で、詫間からのバス路線は終点の大浜になる。そ…

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1349 高谷鼻=三豊市詫間町詫間(香川県)四角に区切られた海岸線ばかりの25キロは飛ばして次は牛馬とこども守護の…

 坂出市の乃生岬から三豊市の高谷鼻までの約25キロの間には、岬がひとつもない。この間には坂出港と瀬戸大橋があり、そこから西へは綾歌郡宇田津町と丸亀市、仲多度郡多度津町が続くのだが、その海岸線はまんべんなく埋め立てと港湾工事で造成と護岸が行なわれており、自然海岸はまったくないからだ。このため、いくつかの岬は地図からも人々の記憶からも、完全…

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1348 乃生岬=坂出市王越町乃生(香川県)坂出市街はほとんど海だったと考えられ松山の津は雌山雄山の東あたり

 王越のこどもたちが、松山小学校までどのようにして通学しているのかは知らない。あるいはスクールバスでもあるのかもしれないが、弓弦羽=王越は日祝日運休となる琴参バス王越線で通学するとすれば、時間がいささか早くなってしまう。仮に路線バスで通うとすると、王越から役場前を回って西脇に出て、そこから乃生湾を右に見ながら乃生岬を反時計回りにくるりと…

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1347 宮ノ鼻=坂出市王越町乃生(香川県)崇徳上皇かと思えばそれは違っていてここは神功皇后が上陸したところだった…

 大崎ノ鼻を回りこんで、バスの右手車窓に木沢湾が現れると、その向こう側に宮ノ鼻が見えてくる。というより、このときにはまだ目立っているのは遠くの乃生岬のほうで、宮ノ鼻はその手前に引っ込んだ影のようになっている。岬を回ると、西陽に向かうことになって、景色の見え方も一変する。 宮ノ鼻は236メートルの王越山という形のよい独立峰から、北に伸びる…

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1346 大崎ノ鼻=高松市亀水町・坂出市王越町木沢(香川県)円錐形の小槌島と大槌島がならぶ景色は人気で…

 大崎山から北へ伸びて海に落ちるところが大崎ノ鼻で、尾根を通ってきた市境界線もこの岬で海に向かう。岬の先端で、高松市と坂出市に分かれるのだが、地理院地図を見ると、その境界線は北へ真っ直ぐではなく少し西に傾きながら海に落ちている。 それはなぜかというと、岬の先に西に寄って小槌島があるからで、その島も大槌島の南半分と同じく高松市に入るからで…

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1345 赤鼻=高松市亀水町(香川県)五色台の北端から東に降りる斜面はミカン畑らしくその降りたところがここ

 亀水(たるみ)の湾の西で、ゆるく張り出しているところに赤鼻という名前が付けられている。ちょうど東の向かい側に紅ノ峰鼻があるので、紅に対して赤というつもりなのか。 標高245メートルの紅峰から、生島湾を挟んですぐ南には174.8m黄ノ峰、そこからまた南へは82番札所根香寺のある449.3m青峰、そこから南を回りこんでスカイラインを北上す…

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1344 紅ノ峰鼻=高松市亀水町(香川県)讃岐では比較的水に恵まれた地域にはいくつか水に関わる伝承があって…

 神在口からまたバスに乗って、弾正原、生島を経て亀水(たるみ)へ向かう。「垂水」ならわかるけど、「亀」ですよ。誰だってそうは読めないでしょ。バスの終点は弓弦羽(ゆずりは)集落の東の空き地で、北に亀水湾がありその東の山の北端が紅ノ峰鼻になる。 弓弦羽バス停の北に覆いかぶさるように聳える山は、二つ三つの盛り上がりがあるが、屋島のような山上の…

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1343 神在鼻=高松市神在川窪町(香川県)証拠はないんだけどやっぱりここも「こうざい」だったのではと疑っている

 菅原道真の時代からは約220年も下って承久の乱になるわけだから、香西氏が香西を名乗ると決めたときには、この地域は「笠居」だったことになる。室町後期の頃までは、中讃岐の中心はこの笠居付近であったらしい。そこで考えられるのは、その「かさい」の読みを下敷きにして字をあてて香西という名にし、読みもちょっとひねって“ざい”と濁らせた、ということ…

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1342 牛ノ鼻=高松市神在川窪町(香川県)「憂しの鼻」が「憂岬(うしのはな)」になりこの名になって香西浦に残った

 氏名(姓名)と地名の関わりは、どの地域にも結構色濃くあるものだが、予讃線の「香西駅」や「香西車庫行き」というバス路線をみたときに、これもきっと人名だなと思ったのは、その読みが「かさい」ではなく「こうざい」だというからだった。別にファンというわけではないが、“香西かおり”さんは本名である。本人は大阪の生まれだが、その家の先祖を辿れば、讃…

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番外:高松はこれが二度目=高松市(香川県)だが昔の記憶はほとんどなく初めてのようなものなので…

 初めて高松にやってきたのは、もうン十年も昔のことで、大阪から出張できたのだが、そのときどうやってきたのかまったく記憶がない。当然、まだ橋はどこにも架かっていないから、宇高連絡船(フェリーか)に乗ってきたはずなのだが、その記憶がない。わずかに高松の事務所に挨拶に顔を出したこと、仕事が終わって行った栗林公園の松と船からみた玉藻城の海城の佇…

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1341 長崎ノ鼻=高松市屋島西町(香川県)“源平屋島古戦場”はいったいどこなのかという昔からの疑問解明に挑んでみ…

 屋島の古戦場って、いったいどこが主戦場だったのだろうか。そういう漠然とした疑問をもちながら、これまでそれを究明しようというほど積極的な意思もなく,そのままになっていた。 昔の地図では、古戦場は刀がぶっ違いになった記号で示されていたのだが、今の地理院地図ではそれはなくなっている。その代わり、たとえば桶狭間では愛知県豊明市に「∴ 桶狭間古…

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1340 根太鼻=高松市庵治町(香川県)備讃諸島に臨む岬から“純愛の聖地”を南へは石だらけの道

 備讃諸島の稲毛島の左右から、タンカーが二隻すれ違いながら通過するのを眺めながら、竹居から江の浜を西へ行く。 稲毛島と並んである兜島と鎧島は、言い伝えでは平家が西へ落ちのびようとするとき、兜を忘れていったから兜島、鎧を忘れていったから鎧島というのだが、いかにも真実っぽくない作り話ではある。 江の浜の西の端に、地図では御殿と表記のある出っ…

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1339 竹居観音岬=高松市庵治町(香川県)お天気も回復して庵治半島の北端から瀬戸の海の風景を楽しむ

 庵治半島の公共交通機関は、高松市の中心街から西海岸を庵治温泉まで行く路線バスがあるきりなので、これに乗って終点まで行き、そこから瀬戸の島々を眺めながら江の浜を北東に向かう。目指すは庵治半島の最北端にある竹居である。 竹居観音岬は丸い小山が飛び出した小さな尾根の先で、岸壁に囲まれた岬はまるで整形でもしたかのように整っている。これも岬によ…

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1338 太鼓鼻=高松市庵治町(香川県)花崗岩の庵治石で有名な庵治半島の東海岸北寄りで飛び出た岬

 海岸の赤っぽい砂をみて花崗岩を思ったのは、でんでんむしがこどものころからなじんできた砂と同じだったからだが、中国・四国の山地は一帯に花崗岩が主体である。 岩石は、その生成の種類形態によって、大きく3つに分類されている。マグマが冷えてできた火成岩と、海底に積み重なった地層が固まった堆積岩と、それらがマグマと接して熱や圧力が加わった変成岩…

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1337 鳶ヶ巣崎=高松市牟礼町大町(香川県)85番札所の八栗寺がある五剣山の岩峰ドームから東に降りてきたところで…

 塩屋の海岸は、きれいな砂浜である。なんとなく赤っぽく見える砂は、ここらも花崗岩地質のせいなのだろうか。 この海岸から東へは工場地帯や泊付近の志度湾の東沿岸が輪をつくり、北側を望めば、大串・小串のふたつの岬が重なり、高島とそのずっと遠くには小豆島の姿が浮かぶ。深い志度湾の狭い湾口の間から見えるのは、土生の東にある太麻山427メートルのは…

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1336 房前ノ鼻=高松市牟礼町大町(香川県)低い峠で岬を越える遍路道はどこを通っていたのか

 徳島文理大の丘から西は、さぬき市志度で、志度湾に近い塩屋には86番札所志度寺があり、湾に突き出た港の埋立地にさぬき市役所があり、その南に琴電志度駅とJR高徳線の志度駅がある。 ここはさぬき市の西の端で、市役所から600メートル西へ行くと、もうそこは高松市になる。前に、さぬき市は半島を挟んで東の津田と西の志度とふたつの中心があると書いて…

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