1243 鳥崎=岩船郡粟島浦村(新潟県)義経伝説が結ぶ本土と粟島その北東端の岬がここなので…

 安宅の関からから日本海沿岸を辿って奥州へ落ち延びる義経主従の逃避行に伴う伝説は、この沿岸にいくつもの足跡として記録されているが、これもまたそのひとつ。 村上市馬下(まおろし)というのは、笹川流れの山と海の間の痩せた海岸線に沿うようにへばりついている集落のひとつで、そこから八幡鼻までは西北西に23キロもある。馬下という名からしてちゃんと…

続きを読むread more

1242 渡鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)牧平は粟島の野馬放牧場のひとつだったようでだから馬が渡るからか?

 これまたまったく情報のない岬で、国土地理院の地図でも表記がない。けれども、粟島マップでは八ッ鉢鼻と鳥崎の中間、西海岸の北端に近い北寄りに、読み方も定かでないその名が付してある。 そこも小さな岩の出っ張りがあるだけで、とくに岬のような目立つ地形とは言い難い。そして、そこから粟島の北端をぐるりと回って、島の北東端である鳥崎まで、いくつもの…

続きを読むread more

1241 八ッ鉢鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)8つあるかどうかを数えてみるまでもないだろうが…

 八ッ鉢鼻は南西に隣り合う仏崎よりもさらに出っ張りは目立たない。ただ、それは地図で見たうえでのことではあるが。 船が仏崎を過ぎると、すぐに前方に先端が丸くなった八ッ鉢鼻が見えていた。このときにはまだフツーの感じだった。 高さは八ッ鉢鼻も仏崎どちらも同じようなものだが、岬の出っ張りそのものはさほど大ききなく、仏崎には表記がなかった岬をとり…

続きを読むread more

1240 仏崎=岩船郡粟島浦村(新潟県)「やす突き観音」が引き揚げられたのがこの岬だというのでこの名に…

 今回の粟島の岬めぐりでは、島を一周する観光船「シーバード」からの眺めで追っているが、その他の方法としては、レンタサイクルかコミュニティバスという方法もあった。 自転車は役場で貸してくれるし、もっと楽なほうのバスは、フェリーの粟島汽船が運行している。タクシーもない小さな島では、なんでも融通を利かせてカバーしている。バスには、二系統あって…

続きを読むread more

1239 エビスヶ鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)結局オオミズナギドリもウミウもその姿を見ることはできなかった

 ここも「1235 大潤鼻」と同じで、地理院地図には表記がないが、地元の粟島マップにはある岬である。そのうえ、これも大潤鼻と同じく、岩礁地帯で岩島がたくさん散らばっている場所にその名が記してある。 「1237 長手鼻」の項で、天然記念物に指定されているオオミズナギドリとウミウの繁殖地のことについて前振りをしていたのだが、立島にも切石ヶ鼻…

続きを読むread more

1238 切石鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)石切の現場のような岩場岩島が立島からさらに続いていて…

 立島の崖に白いものがあるように見えたが、どうやらそれも鳥ではないようだったが、鳥の糞であったのかもしれない。この岸壁はみごとではあるが一枚岩のようなものではなく、細かくひび割れたような岩の塊のようである。 波しぶきがかかりっぱなしで、よく見えなかった恨みはあるが、白く見えたところも、柱が集まったような岩の表面のようであった。 粟島では…

続きを読むread more

1237 長手鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)丸山から西の岬よりすぐ北の立島のほうが目立っているんだけど…

 釜谷での短い休憩を終えて、「シーバード」が港を出ると、すぐに行く手に見えてくるかたちのよい山がある。これが丸山(184メートル)で、そこから西に延びる尾根の先が長手鼻である。 44メートルのピークが突き出た周囲は、すべて切り立つ断崖で、粟島の西海岸で目立っている断崖は、そのいずれもが海食崖(かいしょくがい)ということになるのだろうか。…

続きを読むread more

1236 山崎=岩船郡粟島浦村(新潟県)西海岸ではここ釜谷にしかない集落の漁港に入って「シーバード」は一休み

 細長い粟島は、北北東から南南西方向に傾いている。この小さな島の傾き方は、大きな地図で見ると、対岸の笹川流れの岩礁海岸線とも、佐渡島の傾き方向とも、そして角田岬から南西に向いて始まる弥彦山塊の流れ方とも符合する。 こんな日本列島のシワシワやデコボコやグチャグチャさえも、たまたまの偶然という要素もおおいにあるが、それなりの必然の結果である…

続きを読むread more

1235 大潤鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)岬というよりここは岩礁がふくらんで広がる岩場のようだが…

 矢ヶ鼻を回り込むと、すぐにまた岩場が展開する。立岩がいくつも並び、そのうちには下が空洞になって突き抜けている岩もある。粟島マップでいう鳥居岩とかいうのがそれであろうか。 小さい砂浜があってまた岩場が目立つ。矢ヶ鼻と次の山崎の間にあるのが大潤鼻だが、それはどうやらその岩礁地帯を指しているらしい。この岬名表記も地理院地図にはなく、ダウンロ…

続きを読むread more

1234 八幡鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)車の持ち込みができない島の最西端の岬の先っちょは断崖絶壁で…

 ここにはとんがり帽子が三つある。二つは海岸の立岩で残るひとつは岬100メートルのピーク。そこに、八幡社があることから、その名になったであろう八幡鼻は、粟島の最西端にあたる。この岬は、フェリー「あわしま」が島に近づいていくごとにだんだんと大きくなる島影の左端にずっと見えていた。 とんがり帽子とともに、岬の先端にある岩礁地帯に立つ立岩も印…

続きを読むread more

1233 矢ヶ鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)島の最南端に位置する岬へ行く道は900メートルを行く間に90メートル登る

 瀬ノ鼻を過ぎてさらに南に向かう「シーバード」の窓は、さすがに観光船だからきれいに拭いてあるので、多少の反射はあるが窓からの写真にも支障がない。 小さな船の内部は、細長いベンチ状の座席が何列か、前と後ろに分かれている。前の後列右手を展望がよいと確認して位置取りをした。年配3人組も、始めは前のほうに陣取っていたが、船が走り出すとぐっと船首…

続きを読むread more

1232 上モザキ鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)この岬名も地理院地図にはないのだがいったい粟島灯台はどこに?

 粟島浦村や観光協会が連携してつくっているらしい粟島の案内PDFは、事前にダウンロードしておいた、これには日によって結構めまぐるしく変わる乗合タクシーと粟島汽船の運航ダイヤが収録されているうえに、観光船シーバードの運行表、それに島内マップ、コミュニティバス情報などが収められているからだが、来て見るとそのパンフが船の乗り場などあちこちに置…

続きを読むread more

1231 瀬ノ鼻=岩船郡粟島浦村(新潟県)内浦の港に着いた「あわしま」から「シーバード」に乗り換えて…

 フェリー「あわしま」は、島の東海岸の少し北寄りにある内浦というところに着岸する。港に船が入るとき、左手(南)に見えてくるこんもりと盛り上がった林があるが、そこが瀬ノ鼻である。 粟島は、東西4.4キロ、南北6.1キロと縦に細長く、痩せたサツマイモのような形をしている。その周囲の海岸線は23キロほど。平地はほとんどない。 日本海の離島は、…

続きを読むread more

1230 粟島の岬=岩船郡粟島浦村(新潟県)岩船港からフェリーで1時間半のところにある日本海に浮かぶ緑の島の岬へ

 「粟島(あわしま)」という島がどこにあるのか、地元民以外ではっきり認識している人は少ない。島ひとつでひとつの村をなし、その名は粟島浦村という。日本海に浮かぶ新潟県の島である。同じ名前の島は、瀬戸内海にもひとつある。 だいたいの位置関係でいうと、信濃川河口の新潟港と、佐渡島の北端である弾崎と、粟島の三点を結べば、一辺が60〜65キロの三…

続きを読むread more

番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その3)

 「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前で、その翌年から一年生になった…。前からの続きだけど今回でいちおうおしまいです。 ・ラジオと新聞 じいちゃんがこどもの頃には、テレビなどというものはなかった。もちろん、ゲーム機もコンピュータもインターネットもない…

続きを読むread more

番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その2)

 「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前だった…。前の続きだよ。・きものはきもの この頃はまだ写真機(カメラのことね)を持っている家はなく、したがって写真というものが小学校の卒業アルバム以外はまったくないので、どんなものを着ていたのか履いていたのか、実…

続きを読むread more