でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その23 臨時特別連載「道歌」

 重森完途(カント=東福寺などの作庭家として有名な重森三玲(ミレー)が父)の本を読んで日本庭園に興味をもったのは10代の終わり頃で、さっそく京都の名園めぐりに出かけたものでした。竜安寺にもそのときに初めて行ったのですが、なんか有名な石庭よりも印象に残ったのが、裏庭の東の隅に置かれていた小さな蹲(つくばい)でした。 「知足の蹲」といわれる…

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1084 ケーラ崎=石垣市名蔵・崎枝(沖縄県)群雄が割拠する八重山の戦国時代の終わりにこの岬であった事件

 「ケーラ崎」というのは、石垣島の西海岸、名蔵アンパルの北にあって、石垣市名蔵と石垣市崎枝のちょうど境界線上で、名蔵湾に向かって飛び出ている場所だと思われる。 いかにも自信のなさそうな書き方をしているのは、実はここには実際に自分の足で下りていなくて、通りすがりバスの車窓と遠望からと、後からの情報であそこがそうかと確認しているに過ぎないか…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その22 臨時特別連載「道歌」

 “正直であれ”という教えは、洋の東西を問わないのでしょうか。たいていの人が、正直といえば “ワシントンと桜の木”の逸話を思うことでしょう。でんでんむしもそうでした。道歌はすぐには浮かばなかったけど、この話はすぐに思い出した…。 で、ふと考えました。この話、ほんとにアメリカ人の間でもそんなに知られているのだろうか? あるいは、日本人向け…

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なぜか気になる日本の最西南端八重山の歴史そのポイントを改めて整理してみる(50) (石垣島だより シーズン2)

 「でんでんむしの岬めぐり」のサブテーマともいえるのが、「地図」である。岬をダシにしながらその国土地理院の各地域地図をあわせてつなげているのだが、そもそも八重山という地域に興味をいだいたのも、地図を通じてのことだった。 中学生になってもらった、インクの香りもうれしい真新しい教科書のなかに、帝国書院の地図帳があった。これがうれしくて毎日そ…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その21 臨時特別連載「道歌」

 1963(昭和38)年に始まったNHKの大河ドラマも、還暦が近くなってきましたね。ちょうどこの放送が始まった頃からでしょうか、山岡荘八の『徳川家康』が経営に役立つ“経営者のバイブルだ”とか持ち上げる人があって、企業経営者の間で人気になったことから、出版界では大ブームが起こります。 そんなビジネスの端っこにぶら下がっていたでんでんむしは…

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島の北西側にある川平湾は島を代表する観光地とはいうものの…(49) (石垣島だより シーズン2)

 石垣島のリゾートホテルは島の南部から西部にかけてと、あとはこの川平(かびら)の西部に限られている。宮古島南部のリゾートほど大規模ではなく、川平湾からは北西に突き出ている半島の北側にクラブメッド、その南の底地(すぐち)ビーチにはシーサイドホテルとシーマンズクラブという二つのホテルがあるくらいで、実におとなしいものだ。 それは、島の中心市…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その20 臨時特別連載「道歌」

 天文学の分野では初期の頃から、天体の運行についてはかなりのことを把握していたようです。種を蒔けば芽が出てやがて作物がなることも、季節が移りそれを繰り返していくことも、そしてそのなかで人間が産まれて生きてそして死んでいくことも…。 でんでんむしは、この悠久の時の流れに、刻みをつけてそれを数えあげて記録して、暦をつくったことこそ、人類の最…

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宮良殿内と桃林寺と権現堂からかいまみえるものは八重山の歴史のポイント(48) (石垣島だより シーズン2)

 石垣島を訪れる観光客の多くは、やはり団体ツアー客なのだろうが、近頃では航空券とホテルだけがセットになった個人ツアーというべきようなものを利用する人も多いだろう。でんでんむしも、そういうのをよく利用してきた。 で、そういう個人では、どこへ行くのも自由だが、どこへ行くかを自分で調べるなりして決めなければならない。石垣市の市街地・住宅地のな…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その19 臨時特別連載「道歌」

 “壁に耳あり 障子に目あり”と、“油断大敵”を諭す「道歌」です。ここらへんになると、もう道を教えるというより、浮世をうまく渡るうえでの心得のようになってきます。 実は、こういう処世の知恵的なものも「道歌」の大きな特徴といってよいでしょう。今ならば、人生相談の回答者がいうようなことだとか、いかにうまくやるかを教えてくれる自己啓発本の内容…

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国際用語になっている“TSUNAMI”の力を伝える石垣島大浜の大津波石(47) (石垣島だより シーズン2)

 八重山で甚大な被害を出した明和の大津波については、遭難者慰霊碑を探しに行ったときの項目(石垣島だより 26)で書いていた。1771(明和8)年明和大地震の大津波が襲った石垣島では、壊滅的な大被害を受けたことは、そこで書いているとおりだが、遭難者慰霊碑の場所は、宮良の集落の北1.5キロにあたる、標高60メートルの畑の中の丘の上にあった。…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その18 臨時特別連載「道歌」

 まことに人間とはややこしいめんどくさいものでありますが、多くの場合人が己が口から発する言の葉、ことばによっていろいろなもめごとの種が蒔かれてしまいます。では、よけいなことは言わずに、徹底的にただ黙っていればいいかというと、そういうわけにもいきませんよね。 また、ことばを尽くして真の相互理解に達することもあります。しかし、それはまた現実…

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戦争の記憶を伝える八重山戦争遺跡のひとつは石垣島測候所の壁で(46) (石垣島だより シーズン2)

 西表島の岬めぐりで「日本最南端のバス停」のある南風見は、「1069 落水崎」の項 で書いていた。ここでちょっとふれていた、戦争マラリアの慰霊碑というのは「忘勿石」とその祈念碑の両方があるらしい。それは、波照間島から意味もなく移住させられ、故郷の島影が望める西表の南風見で、意味もなく苦しみ死んでいった人々たちの鎮魂のためと、後世にその悲…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その17 臨時特別連載「道歌」

 理屈はわかるけど実際はね、理想と現実は違うしね、一面ではそれも正しいとは思うけど、まあしょせんはきれいごとだよね…。 あまり的を射ていると、人間誰でもそういう反応をしがちですね。「道歌」も、そのとおりかもしれないけど、なかなかそうはいかんよね、ということが多いことでしょう。 けれども、大切なのはその真実の一面なりとも知る、意識するとい…

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本土ではみんなが忘れている戦争の記憶を伝える沖縄でも異色の八重山平和祈念館(45) (石垣島だより シーズン2)

 近年では、70年近くも前に終わった戦争のことなど、誰もまったく気にもせず、みんなすっかり忘れ去ってしまっているようだ。だが、それは本土だけのことなのだ。 沖縄では戦争の記憶はいまもなお風化することなく、いまも語られ、いまも伝えられ、いまも忘れられていない。 空襲は東京だけでなく各地方都市までおよび、広島と長崎に原爆は落とされたが、戦場…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その16 臨時特別連載「道歌」

 これまでご覧になったところで、すでにお気づきのことと思いますが、なんか似たような歌が多い、それもちょっと言い方を変えただけでほとんど同じことをいっている、というのもあります。 これは、元の資料にあるのをそのまま拾っていった結果なのですが、主に「道歌」を広めた媒体は紙媒体よりもやはり、口コミ、口伝が主だったからではないかと思われます。口…

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石垣島の鍾乳洞は二つあるのかどうかを究明に現地へ行ってみたら(44) (石垣島だより シーズン2)

 日本中に鍾乳洞はいくつあるのだろうか。統計的数字はどこにも出ていないらしいので、まだまだ調べが進んでいないのだろうか。地表からだけではわからない洞窟は、判明していないところが多くあるのだろう。鍾乳洞と岬が結びつくことはほとんどないので、これまでも番外で岩手県の龍泉洞を取り上げた くらいだ。 “日本の主な鍾乳洞”として50ばかり挙げてあ…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その15 臨時特別連載「道歌」

 広島が野球で有名になったのは、昭和の初め頃の中等学校野球大会(今の甲子園大会)で全国制覇した広島商業からで、“元祖4番でエース”の灰山元治や“元祖親分”の鶴岡一人らが活躍していた時代です。でんでんむしは叔母たちからそのことを聞かされていたのですが、“宮島さん”もこの頃からの応援歌だったはずです。 広島と野球のことになると脱線してしまう…

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名蔵アンパルは石垣島の自然のゆりかごラムサール条約指定の湿地で国指定の鳥獣保護区で(43) (石垣島だより シーズ…

 石垣島の西部海岸で大きく凹んでいるのが名蔵湾で、この湾奥にあるのが名蔵アンパルと呼ばれる湿地帯である。 湿地帯と言っても、日光や箱根にあるようなのではなく、一面マングローブの森が広がり、潮が満ちるとその裾まで海水が入り込んできて、潮が引くと砂と泥の干潟が広がる。なので、道もなく人が入り込む余地がほとんどない。 そのため、いわゆる観光地…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その14 臨時特別連載「道歌」

 まあはっきり言って「お説教」がメインであることには違いないので、あまり「やったーぁ!」というような歌は出てきません。 我慢や辛抱や努力は懸命に説くけれども、そのかいあって大成功を収めてお金持ちになったり、立身出世できたとしても、それを称え褒める「道歌」はないようです。それは、身分制度の元では、そういう例はほとんどなかったからかな。 そ…

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「わ印」の人には関係ないが石垣島のバス路線でとりあえず島内を周回できるようになった(42) (石垣島だより シーズ…

 石垣島がいくら八重山の玄関だとしても、玄関に入っただけで帰ってしまうのももったいない。たいした観光ポイントはないとは言いながら、せっかくきたのならまあゆっくりしていってください。 旗を持った人について行けばいいツアーの人は別にして、フリーでくる観光客の場合、最近ではほとんどの人がレンタカーを利用するらしい。そのため、空港周辺にはレンタ…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その13 臨時特別連載「道歌」

 考えてみれば、「道歌」で言っているようなことは、和歌の形式ではなくとも結構おなじみのものもあったりします。それは、ときに「ことわざ」だったり、「俚諺」だったり、「金言」「格言」だったりして、そういった形でも同じようなことを言ってるわけです。 それらはみんな、短い言葉のなかに、さまざまな教えと思いを込めて、伝えようとした結果といえましょ…

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また石垣島に戻ってきて今度は石垣島の情報についてのあれやこれやから(41) (石垣島だより シーズン2)

 与那国島から、またRAC機で石垣島に戻ってきた。石垣と与那国の間はフェリーも運行しているのだが、これだと片道4時間以上かかるうえに週2便の運航。だから、たいていの場合、毎日3往復飛んでいる飛行機を使うことになる。ネット情報には案外古い情報がそのまま残っていることが多い。JTA(日本トランスオーシャン航空)も飛んでいると書いてあるものも…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その12 臨時特別連載「道歌」

 こうしてみると、なんとなく現代人の回りにも「道歌」の影響はわずかながら残っているといえます。それは、過去の歴史や経緯がどうであれ、いつの時代にも変わらぬ人間の心理や営み、この世の中で生きていかなければならない懊悩のさまざまを、自然で本然なところで切り取って教えにしているからでしょう。 誰もが、そりゃ違うだろ…というようなことは少なく、…

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番外:与那国島=最西端にあった日本の“水源(源流)”(沖縄県)最西端国境の島で落穂ひろいをしてみると…

 八重山でも西のはずれで、日本の最西端となれば、またくる機会はおそらくもうなかろう。四つの岬も項目にアップできたし、与那国馬についても書いたが、まだなにか足りないような気がするので、おれやこれやの落穂ひろい。 地元の方言では「どぅなんちま」という与那国島(よなぐにじま)は、面積 28.91平方キロメートルで、これはだいたい新宿区と文京区…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その11 臨時特別連載「道歌」

 学習指導要領の小学校「道徳」の指導内容では、「主として集団や社会とのかかわりに関すること」のなかで、「父母、祖父母を敬愛し、家族の幸せを求めて、進んで役に立つことをする。」といったことが書いてあります。 親が子を思い子が親を思うという、人間のごくごく当たり前な心情も、教育によって磨かれていくのですね。 古来から、学問の教科書として広範…

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1083 馬鼻崎=八重山郡与那国町与那国(沖縄県)北牧場の先端がこの岬で断層がウマの鼻のように見えたのかな

 与那国町の無料バスも、停留所以外でも途中の場所を言えば降ろしてくれるので、でんでんむしも「空港の手前の馬鼻崎の入口のところで降ろしてくださいと、ドライバーにお願いしていた。それだけで、ちゃんとわかったようで、与那国空港のフェンスが切れる西の端で、マイクロバスを停めてくれた。 与那国島の岬は4つだけで、それが東の端と西の端と南の端、それ…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その10 臨時特別連載「道歌」

 明治になってから早々に、西欧諸国との差を埋めるべく近代国家の建設に着手したわが国では、各地に多くの小学校がつくられました。それらは現在までその歴史を引き継いでいるものも少ないはずです。明治以前からも、寺子屋などでの庶民子弟教育も狭いながら門戸が開かれていたでしょうが、「道歌」のなかでも学ぶことをとりあげたものがあります。 教育熱心だっ…

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1082 西崎=八重山郡与那国町与那国(沖縄県)見えない海上の国境線まではここから36キロの日本最西端の岬では

 西崎の「西」の読みは、ここでは「いり」である。そういえば、「西表」もそうだった。西は太陽が沈んでいく方角だから、“太陽が入る”から“いり”なのだろうと、単純に考えていた。与那国島の最初の項目が「1080 東崎」だったが、この「東」は「あがり」と読む。太陽が上ってくる岬であるから「あがり」、太陽が沈んでいくから「いり」。与那国島では、東…

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その09 臨時特別連載「道歌」

 大家さんから教わった「ならぬ堪忍 するが堪忍」の「道歌」を、八っぁんだか熊さんだかが「奈良の観音、駿河の観音…」と間違えるというシーンが、題は忘れたけれど古典落語に出てきます。大家といえば親も同然ですから、親が子を諭すように、大家さんも道歌をツールとして活用していたわけです。 大家さんとか横丁のご隠居とか寺子屋の先生とか、そういう人た…

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1081 新川鼻=八重山郡与那国町与那国(沖縄県)眼と鼻の先にあるのが“海底に沈んだ古代都市の遺跡”かもしれない

 与那国島の最南端にあたる新川鼻(あらかわばな)は、海底遺跡で有名なところである。海底の石が人工的な壁やテラスや通路のように直線や平面で細工されたように見えるというので、海底に沈んでしまった古代都市の遺跡ではないかと言われている。何度かテレビでその映像を見たことがあるが、なるほどそう思えばそんなようにも見える。 が、単なる自然地形だとす…

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