2013年09月29日
愛冠岬については、すでにこのブログ始めの頃の項目として取りあげていたので、今回の計画には入れなかった。愛冠岬の南東に続くのは、アイニンカップ岬である。アイカップとアイニンカップ。これは、どちらも同じような意味の名だが、並ぶふたつを区別するためにこういう名にしたものか。「矢も届かず道もない=できそうにないこと・むずかしいこと」の意味をも…
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2013年09月27日
前項の指のたとえでいうと、親指の左先がバラサン岬にあたる。国土地理院の地図では、たまにここのように岬名がふたつも表示してあるところがあるが、これにはなにか意味があるのだろうか。 厚岸大橋を渡って、厚岸湾の側に行くとそこは大きくて広い厚岸漁港に沿う町並みであり、厚岸湖の側の湖岸は、カキ養殖のための基地となっている船着場のような、桟橋のよ…
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2013年09月25日
最近ではとんとお目にかからなくなった“FEP”とか“IME”の用語も、それを意識する必要がないくらい環境が整ってきた、ということだろうか。いや、そんな話をしたいわけではなく、ただローマ字入力では「atukesi」や「atsukeshi」でも「akkesi」でもちゃんと「厚岸」が出てくる。 だが、ここの正式な読み方は「あっけし akke…
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2013年09月23日
釧路埼燈台(知人岬)から、直線距離で33.5キロ東へ行くと、尻羽(しりっぱ)岬の先端になる。そこは、厚岸湾を囲む南西の岬で、その位置関係からすると、厚岸町の一部になっていてもまったく不自然ではないが、ここは釧路郡釧路町。しかも、その岬の北部、オタクパウシとかルークシュポールの付近では、厚岸町との間で境界線が未確定であるらしい。これは、…
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2013年09月21日
釧路埼灯台からまた南大通りに戻って、米町の展望台がある公園の高台に上ってみる。この展望台のほうが、釧路埼灯台よりもはるかに灯台らしいのがおかしいが、釧路の町と港を見下ろす高台には、なにやらいくつもの石碑が建っている。そのひとつ黒いのは虚子の句碑で、平成13年8月建立というできたてほやほや。昭和8年に、釧路の知人岬に立って詠める句は、「…
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2013年09月19日
原則として、国土地理院の電子国土ポータル地図にある岬表記を訪ねて行くのが、この岬めぐりの基本方針だが、襟裳岬から石炭岬まで150キロと、白糠町の石炭岬から釧路の市街地を挟んで厚岸町の尻羽岬まで60キロの間では、その表記がまったくない。岬不毛地帯は、石炭岬からさらに東へも延々続いていたのだ。 それもあまりにさびしいなあと思っていたら、釧…
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2013年09月17日
白糠町は、釧路市に東西両側を挟まれている(つまり釧路市は、中心部と釧路湿原などがある東部と、音別・尺別などがある西部が飛び地になっている)道東の町である。4,320世帯で人口は8,942人ほど、“白糠を知らぬか”とおやじギャグで迫られても、やっぱり知らぬ人のほうが多いのではあるまいか。 それでも最近2013年夏の全国ニュースでは、“白…
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2013年09月16日
●著作権のルール「A to Z」
でんでんむしは、なにも著作権の専門家というわけではありません。しかし、この問題には一般人々の幅広い理解が必要だと、かねがね考えてきました。そこで、経験的に理解した著作権について、普通のブロガーのための注意事項をまとめてみました。 ごく浅いものに過ぎませんが、最低限これくらいは知っておきたい…という…
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2013年09月15日
陸前高田市に来て、「奇跡の一本松」にふれないわけにはいくまい。現に、前項「1003 恵比須鼻・白浜崎」でも、雨ににじんだ一本松が、ちゃんと写りこんでいたが、あえてそれは無視していた。だから、番外で一項目。 もっぱら、BRTバスで気仙沼駅から陸前高田市役所を往復する間の、雨の車窓からだけである。もともと、これを見に来たわけでもないので、…
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2013年09月13日
そういうわけで(どういうわけかは「997 山王鼻や松崎など」の項 を参照)、最終日は気仙沼大島の計画を放棄して、とりあえずいい思案もないまま気仙沼駅まで戻ってきた。雨はばんばん降っているし、時間も半端だ。今からどこかの岬へというのもムリだ。といって、東京へ帰るには早すぎる。 そこで、気仙沼駅からJR大船渡線(ドラゴンレールという名があ…
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2013年09月11日
地図と地名で悩ましいのは、よく使われているはずの地名が、地図には載っていないことである。ミヤコーが大沢線と呼ぶバス路線の終点は大沢だが、そういう地名は地図にはないので、計画の最初は大沢がどこかを探すことから始まった。 大沢って、どこよ? ミヤコーバスのホームページは、そもそも設計が良くなくてハンドリングは最低である。バスの路線検索や時…
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2013年09月09日
集落が消えた只越の海岸で、なにもないところに自動販売機やよしずで囲まれた仮設トイレをわざわざ設けたのは、いわば交通の要路にあたる街道筋の心意気のようなものではなかっただろうか、と想像してみる。 こういう、どうでもいいいろいろなことを、一人勝手に想像してみるのが、なかなか楽しいのである。 只越のT字路を南(右)へ行けば御崎神社と岬であり…
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2013年09月07日
気仙沼市の区域だけが、岩手県のほうに食い込んだような形になっていることは、先にも書いたとおりだが、改めてこの地域の歴史的経緯を振り返ってみよう。 奥州藤原氏滅亡の後には、頼朝が奥州奉行として葛西氏(980 館崎の項参照)を派遣し、唐桑はその郎党であった阿部氏の領地となる。それからは葛西氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで、実に約400年の長き…
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2013年09月05日
岩井崎と唐桑半島南端の御崎(おさき)を結ぶミヤコーの路線バスは、なかなか貴重なように思える。なにしろ、陸前階上から、気仙沼湾と大島をぐるっと一回りしていて、その総延長距離は約30キロに及ぶ。ただ、岩井崎からとまでの便は日に2本で、松岩付近からのが5本、市の中心部からの4本の組み合わせである。これとて経営的にみれば、楽勝のドル箱路線とい…
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2013年09月03日
気仙沼大島の北の端にあたる野々崎は、大島と本土の間の大島瀬戸に突き出ている。その東側には唐桑半島があり、半島と大島の間にも水道があるが、こちらには名前がついていない。 その水道の奥も、リアス式らしく入り組んだ入江と海岸線が続いている。この付近の海域では、気仙沼湾をはじめとして、至るところでカキなどの養殖漁業が盛んなようである。広島だ…
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2013年09月01日
だいたいにおいて、三陸の岬めぐりは天候に恵まれない日が多く、今回も週間予報では“最後の一日だけ雨かも”という予報でやってきたが、実際は“最初の一日だけが晴れ”という結果になってしまった。 “やませ”のことは、すでに岩手県の岬めぐりで体験していたのに、このときにはすっかり忘れていた。 休暇村気仙沼大島の建物があるところは、フェリーが着く…
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